約十年ぶりに三人の古い友人らと会う。店は池袋ということで、僕が横浜を出たのは夜六時を過ぎていたので、おそらく一番遅れての現地到着になるだろう。
五十歳を過ぎたら、十年ぶりなんてさほど長い時間に思われない。そんな前だった?とか言うに決まってる。その一方で、昔の友人に会うのは楽しみでもあるけど憂鬱でもある。当たり前だけど、みんな自分と同じだけ年をとっていて、相応の風貌になっているのが目に浮かぶからだ。
FとSと僕との最初の出会いは小学一年のときで、Wとは中学一年のときで、それ以来の断続的な付き合いが続いて今に至る。これは驚くべきことなのかもしれないけど、まあ地元が埼玉のベッドタウンで、成人してからの仕事先が東京の人間同士のコミュニティなら、そういう関係はいくらでもあるのかもしれない。だから互いの親や兄弟や他の知り合いや当時の付き合い関係や結婚やら住まいやらのことも、長年にわたり大体知っていて、そのような長い時間を互いに知っているというのは、ある意味どこか、互いの弱点を握り合ってるようなところもある。
それは何というか、家族ではないけどそれに近しいところもある関係で、いまさらあたらしい言葉やあたらしい考えで、彼らに何かを言っても無駄、とも言えなくもない、そんな感じでもある。しかし家族のように互いを無関心なままに無言で過ごすのではなく、会えばそれなりに、はしゃぐのである。そういう微妙に中途半端な「内輪」感というものがある。
もしかすると、そういう映画は意外にありそうだ。でも、あったとしても、世代的にちょっと違うか。「あ、つまりこれだ!」と思うような物語に出会ったことはまだない。
東横線が副都心線に直結してから、池袋にも意外に早く着いてしまうのだが、それでもすでに七時過ぎで、池袋自体がとても久しぶりで、しかも西口界隈なんて何十年ぶりだろうか。きょろきょろと夜の繁華街を見回しながら、スマホの地図を確認しつつお店の場所へ向かう。わりとすぐに見つかった。ご予約のお名前は、と店員に聞かれて、誰の予約か知らないので三人全員の名前を順に言ったら、あぁ、S様ですね、お二階へどうぞと誘導される。
テーブルを囲んで彼ら三人がいた。どうも…とも、ああ…とも違う、妙な声を出して、その顔を見る。あーあ、あのおっさんたちだ、いやだねーと、こころのどこかで思ってる。それはたぶんお互い様だ。照れ隠しのような、一笑に付すみたいな笑いでかきまぜる。そのとき向かいのFがいきなりスマホをだして自分を撮影して、それをただちに自分の奥さんにメールで送った。奥さんにもずいぶん会ってない。Fが「いまどうなってるか写真で送ってくれって頼まれてたから」と笑う。何それ!ちょっと!だからっていきなり写真撮るの失礼でしょ!みたいな唐突なオネエ言葉が出てしまう。まあ相手も、こちらと同じ思いなのだ。お互い様なのである。昔からの相手がその容貌を変えていくのは、その都度確認しておきたいし、でもなるべく目を背けていたい。
Fのスマホに、奥さんから返信きた。あまり変わってないねーとのこと。そんなことないわ。すっかり変わったわ。