観たのは昨日だが、U-NEXTでチャン・リュルの「慶州 ヒョンとユニ」(2014年)を観る。僕はこの映画を観るのはたぶん三回目だと思う。妻が観たいと言い、また観るのか?と正直思ったけど、観始めたら、これがたいへん面白い。

この映画での、ヒョン(パク・ヘイル)の受動性の徹底ぶり…。もちろん彼は過去の記憶をたしかめるために慶州を訪れるのだし、何年も連絡をとっていない先輩の妻(かつての彼女?)を、わざわざ呼びつけたりもするのだけど、それもどこか行きあたりばったりというか、その結果発生する出来事に対して、ひたすら受け身なのだ。それは彼の存在感そのものの問題である。

そもそも、ヒョンは韓国人で、さらに中国語も日本語も解するのである。ところが彼は周囲で発される人々の言動をまるで理解する気がないかのようだ。観光案内所のスタッフに中国語で話かけられた際には、その言葉しか理解出来ないようなふりをしていたわけだし、ユニが日本人の言葉を通訳してくれたときも(正確に伝えていないにもかかわらず)、ユニの言葉を鵜呑みにするふりをしていたわけだ。

慶州の大学の先生と偶然知り合って、様々に話かけられても上の空というか、まあ相手の話題もつまらないからだけど、まるで相手にする気はない。ユニの昔の友人で、明らかにヒョンを怪しんでいる刑事の男に対しても、ヒョンはことさら自分を説明しようとはしない。だからますます怪しい目で見られる。

あとヒョンの服装は、じつにだらしないのだ。上はかろうじてジャケットを着ているけど、下はスウェットにスニーカーで、冒頭、この格好で友人の葬式に出席してるのである。パク・ヘイルという俳優の、身体の男性的立派さが、よけいにだらしなくて無駄にデカくて鬱陶しい、意味不明でヘンなむさ苦しい男性、という感じを強調する。

それにしても、ユニ(シン・ミナ)はいったい、何を考えているのかと思うのだ。彼女の夫は亡くなっていて、彼女は今ひとりで暮らしている。彼女はあきらかにヒョンを許容しているというか、無言のまま、浮かぬ表情のまま、しかしヒョンを他人扱いしない。刑事の男からしたら、そのユニの態度が、余計に苛立たしい。

ユニは無言のまま、ヒョンを自宅まで招こうとしているかのようだ。それは約束だったかのように、そうなる。しかしあからさまに、行為へと誘うのではない。非常に深刻な表情で、しかしおそろしく無防備に、無警戒に、ヒョンを招き入れ、ソファで隣合って座り、ぐっと身体を彼に近づけ、その両耳を触るのだ。あなたは亡くなった夫と、耳が似ているのだと言って。

そのとき刑事の彼は、深夜だというのにとつぜんユニの家に押しかけてきて、ヒョンにパスポートを見せろと言う。あきらかに職権濫用だ。ユニは彼をとがめる。ヒョンはおとなしくパスポートを見せ、刑事はそれをろくにたしかめもせず、おそらくは自己嫌悪と羞恥で、逃げるようにその場を後にする。

突然の闖入者が去って、ユニの態度はなおも変わらない。ひたすら続くこの濃厚なエロ的気配、ユニがドアをわずかに開けたまま寝室へ消える。しかしヒョンはただ、窓の外を見て、かすかに明けかかった夜をやり過ごす。いや、着信していた妻からのメッセージを読む。あなたの不在が寂しく、そして今あなたが何を思っているかという、妻からのメッセージを。

翌朝、ヒョンはひとりで歩いてる。ユニの家を出たあとだろう。きっと何事もなかったのだろう。それどころか、前日までの記憶と現実が少しずつ食い違っているようでもあり、占いの店に前日までいた老人は、何年も前にすでに亡くなっているはずで、だとしたらユニの茶屋はどうなのか。それどころか、昨夜までの経験はほんとうのことだったのか(まさかすべては、ヒョンの想像だったのでは?)。ヒョンは川の音がする方へ走る。その先に自分の思い描く景色がその通りに広がっているのかどうか。

こうして、とりとめのない書き方を続けていても仕方がないのだけど、しかしまさかとは思うが、これって何の根拠もないけど、単にヒョンは死んだ友達の奥さんのことが、何となく気になっていて、あと、それをきっかけに思い出された、いつかの茶屋の女性のことが何となく気になって、ただそれだけを、ぼやっと妄想してるだけの話なんじゃないだろうな…。

最後に、亡くなった友人も含むかつての友人らとお茶屋を訪れる場面があらわれる。しかしお茶を用意してくれているのは、当時はまだここにいるはずのないユニじゃないか。みなが無言で、ユニのお茶の準備を見届けている。そのとき、こらえきれないといった様子で、ヒョンがとつぜん笑いを噴き出す。皆の視線を浴びながら、ヒョンはかろうじて笑いを抑え込む。

それは、すでに知っているからこその笑いなのか、未だ知らないがゆえの笑いなのか。そもそも何がおかしかったのか。