それにしても今日は、お花見にうってつけの日だったようで、家を出てから、いつもはほぼ無人な近所の公園へ差し掛かると、敷地一面がたくさんのピクニックシートやテントに埋め尽くされていて、まだ正午前にもかかわらず、たくさんの人々が賑やかに飲んで騒いでいて、おそらく今日という日は、この公園にかぎらず桜が咲いている場所なら、どこも似たような状況だろうと思った。

じつは世間の人々にとって、今日こそが一年のうちで、もはや正月よりもハロウィンよりもクリスマスよりも、もっとも祝祭的で享楽的に過ごす一日ということになってしまったのか。なら僕もぜひ宴に加わりたい。というかこれだけ多くの人が飲酒するなら、どこかで振舞い酒くらい、やってないものか。

茗荷谷から護国寺を経由し、さらに大塚方面を歩いた。豊島区や文京区は、ただの道に勾配の変化が多くて、まったく水平面的な場所がなくて、だから路面に引いてある白線とか横断歩道の縞々の線も、地面に応じて歪んだりねじれたり、それが足立区在住の我々にとっては、もの珍しく見える。

護国寺境内に桜はほとんどなくて、でも桜はすでにもう、充分に見た気になってしまったのでかまわないなと思う。丁寧に手入れされた、立派な松の木を見上げる。松の木肌は、あれはなぜ表面をきれいに削り取られているのだろうか。あれがきちんと手入れされた由緒正しい松ならではの身だしなみなのだろうか。

松はいい匂いがするし、季節によっては植物公園の針葉樹林帯とかを巡るのは好きだけど、突拍子もないことを言えば、松という樹木の姿を見ると僕は、どうも尊王攘夷な血迷った連中が、その木の下で切腹し血を流しながら伏してるみたいな、そんな妄想というか、そんな幽霊を見てしまうような気がするのだが、それはいったい何の本を読んで、そんな奇妙な観念が植え付けられたのか、まるで記憶にない。

その後、タラの芽とか蕗の薹とかをもとめて御徒町の店へ。しかしそんな春野菜の季節は、もうとっくに過ぎてるのだった。瓶ビールと冷酒、季節野菜の天ぷらと筍の土佐煮を。しかし何もかも高くなりましたな。十五年前なら半額で済んだのではないか。