自宅を出て、綾瀬川を渡って、千住新橋から荒川を渡って、さらに北千住を通り抜けて、千住大橋から墨田川を渡って、南千住駅まで歩いた。歩きすぎた。さすがに疲れた。

最近の南千住と言えば、高層マンションであり駅周辺の商業施設というイメージがあったが、歩いてみるとやはり、この地は依然として物流倉庫や工場、車庫の町であり、その一部にまるでとってつけたように、新しい商業施設が貼りついてる感じだった。

工場とか倉庫とか車輛基地というのは、やたらと巨大で広大な敷地内を、一般人がまったく立ち入り不可というところが特長的なのだ。つまり壁とかフェンスとか、遮るものばかりで視界が構成されている。

だから新しさと従来の景色が、容易に混ざり合わないのだ。異なるもの同士が互いにそっぽを向き合っている。(「虚の透明性」を生じさせるような、異なる者同士の拮抗がいっさい感じられない。)

僕が子供だった昭和の一時期、もしここ南千住あたりに生まれ育ったとしたら、それこそ子供の遊び場なんていっさい無い、まったく無機質で殺風景な景色の下で、育つことになったのだろう。灰色の壁と曇った空とトラックの排気ガスの向こうに、くすんだ色の墨田川が流れている、そういう景色だろう。

とはいえあの頃なら、自分の育った土地もたいして変わらない。工事現場と埃っぽさと灰色の国道を行き来する自動車ばかりで、大した違いはない。

今はまるで冗談みたいに明るい緑があちこちにある。植樹が当たり前になった。四、五十年前と較べたら、色数が百倍くらい増えた。今ここに生まれ育っている子供たちは、何色を見ているのだろうと思う。