新しい人

何のきっかけもなく、ただ無目的や無根拠を希求したくなる理由はおそらくなくて、たぶん過去のどこかに、いかにもわかりやすい原因があったはずだ。これまでの目的や根拠が自分で信じられなくなった、そんなよくある話の、たまたま我が身に降りかかってきた危機への一反応と考えた方が良い。

自分の体内に、自分が自分たる根拠がぎっしりと詰まっている、それを根拠なく信じていられるのが笑うところだが、とにかくそれが一度崩れる、指針を一時的に見失って、危機がおとずれる、焦燥や不安のほか、自棄の思い、振出しに戻りたい思い、誤魔化しておきたい思い、それらの混ざり合いが、一気に無目的と無根拠の側に自らを移動させたくさせる。

とはいえ、そのようにして生成される無目的と無根拠への希求は、さしあたり手に触れた適当な対象によってあがなわれるから、行き着いた先がゲームセンターに入り浸ってピンボールにふけることだったりもする。それを選び取ること自体の、無目的と無根拠さの感触に重点が置かれている。

会社員になるという選択もその延長線上にある。通勤して仕事して給与所得を得て納税する道に加わる、未知であること、無知であること、その無目的と無根拠性に惹かれている自分を見出すことになる。

お前は、ヘンなやつだし、かなり変わってるけど、やる気だけはものすごくあるから、俺はその点に関しては、お前をものすごく認めてるんだよ、と、会社に入ったばかりのときに、先輩のFさんから言われた。

Pinball Wizard

ゲームセンターに通っていた頃、1996年にリリースされたバーチャ・ファイター3をずいぶんプレイした。上手いか下手かで言えば、下手で、対戦すれば、大抵負けていたはずだ。

バーチャ・ファイター3は但し、ゲームとして面白く、面白すぎるところが、欠点ではあった。原理は単純なのに、コントローラからの入力が、人間の身体および動作のイメージと絶妙な按配で紐付けてあるので、ジャンケンのような単純な駆け引きのはずが、運動神経が大きく拡張された、まるで本物の格闘家の主観領域で互いに攻防しているかの如く、異様なドーパミン放出をうながし、やがてその仮構された勝負の虜になっていくのだった。

これほどまでに、夢中になりたいわけではなかった。むしろもっと退屈なものが、のぞましかった。それで、バーチャ・ファイター3からは足を洗って、同フロアに設置してあるピンボールをはじめた。ピンボールのバカバカしさは、素晴らしかった。フリッパーでボールをはじく。ボールがあちこちに当たって、当たるその場所で得点が加算される。両脇のレーンに落ちたら、ゲームオーバーだ。それだけの、シンプルで無意味で徒労で、ほとんどシーシュポスの神話的不条理感すら感じさせる、そのくせ、イルミネーションやサウンドはやけくそのように派手で騒がしい、かなりの水準にまでつきつめられた虚しさが、そこにはあった。まさにゲームの原基、不毛の王者に感じられた。

筐体は、フロア端の目立たないところに三台並んでいて、但しそのうち二台はボロ過ぎて遊べたものではなかった。真ん中の一台はわりと新しくて、各レーンもフリッパーの動きも経年の影響をさほど受けてない。これをしばらくやり続けて、ほどなくして上達した。コイン一枚で早ければ三分以内にジャックポットを獲得し、十分以内にはリプレイした。あえて自ら台を捨てないかぎり、ワンコインの投入だけでゲームはいつまでも終わることなく続いた。

バイト先を出ると、駅前を通り過ぎて、パチンコ屋の向こうにあるビルの裏側のエレベーターで二階に上がる、いつものゲームセンターのいつもの場所で、いつものピンボールにコインを投入する。いつしかそれが完全なルーティンと化していた。こういう人って、いるよなあ…と思った。何が目的で、何が楽しいのかわからないけど、とにかく毎日、ただひたすら、仕事か義務のように、それを最初から最後までやってる。文字通り、判で押したように、日々くりかえしてる。どういうつもりなんだか、さっぱりわからない、たぶん理由もなく、目的もない。何も考えてない。そもそも、内省がない。再帰がない。自意識がない。主体がない。

そういうものに、わたしはなりたい。だから、なった。

とはいえ、無目的であることがそのまま目的にはならないもので、無目的の只中にどっしりと浸って泰然自若としていられるほどの覚悟も楽観性ももちあわせていなかったので、そのうち、もそもそ、じたばたと、小さな昆虫のように、狭い場所をいじましくも無意味に動き回り、周囲の様子を確かめはじめたりもする。もしよかったら、そっちの船に、乗せていただけませんかね?と、やがて卑屈な表情で尋ねはじめたりもする。

ソウル・ミュージック1986年

とはいえRCサクセションがそれほどナイーヴで内向的な世界ばかりを描くわけではないことを、1986年のライブ盤「the TEARS OF a CLOWN」があざやかに指し示していた。ライブ盤というものの楽しさを、僕はおそらくこれではじめて知った。一曲目が古い洋楽のカバー(IN THE MIDNIGHT HOUR)で始まるというところに、当時は衝撃を受けたし、二曲目以降の展開の天井知らずの心躍る高揚感にひたすら舞い上がった。まあこのアルバムのおかげで、"スローバラード"にせよ"ヒッピーに捧ぐ"にせよ、シングル・マン収録の名曲のオリジナルよりも、このライブ盤収録の方によほど愛着を深めてしまったし、たしかにソウル・ミュージックではあるのだがはっきり言って参照元が微妙に古い、今でいうカッコいい音源サンプルになりそうなソウルとは微妙にずれた、もうちょっと昔のモロに往年のソウルをベースとした、大らかなリズムとアレンジの古き良き音楽の香りを、まだ何もわからない年齢のうちからしっかりと満喫できた、そのことは今思い出しても良かった。というよりも、そのときの気分、というよりも、そのときの景色というか空気感というか、たしかにそのときだった、ということ。

レンタルレコード店は駅の東口を少し歩いたところにあった。一泊三百円で、スタンプを押してくれて、いっぱいになったら一枚無料でレンタルだっただろうか。レコードを自転車の前籠に立てて、家まで帰るとき自転車だと行きは坂道が多くてそのかわり帰りは下りでほぼペダルを漕がずに帰れるので早いし楽だ。子供の頃は毎日自転車に乗って、よく一度も交通事故に遭わなかったものだ。その時代はたしかまだ年間一万人以上の交通事故死亡者がいた時代だが、そんなことは事後情報に過ぎない。たまたま助かったのだろう。自分の部屋に戻って、ノートに何かをごちゃごちゃと書きつけていたかもしれない。床や机やベッド上に、何が散らばっていたのか、当時の中学生がどんなだったかなんて、もはやまるでわからない。ソニーの古いラジカセがあった。自室の、あれが全てじゃなかっただろうか。あれでカセットテープを再生したし、TBSの深夜放送を聴いた。ウォークマンなんて何歳頃にはじめて買ったのだろうか。

サクセション

RCサクセションはデビューが1970年、それから長い不遇時代を経て、1980年頃にブレイクするという経緯をもつ。僕がRCサクセションをはじめて聴いたのは中学生のときで、当時「HEART ACE」(1985年)が発売されたばかりだった。数年前のブレイクぶりが凄かった反動で、85年はすでに人気に陰りが見え始めて…という印象だったように思われるし、本人たちもそれを自覚したような発言をしていたように記憶する。当時RCのメンバーたちは、基本的に怒ってるか、何らかの不平不満を抱えている人達で、曲にもその思いが濃厚に漂っていて、つねに事務所や社長と揉めているか、バカなファンにイライラさせられつつやりたくもない演奏をやるか、大して売れないレコードを作って、たまに理解者の恋人と部屋で二人過ごすか、半分夢の中みたいな幻想を見ているか、そんなときだけはやや気が楽で…という雰囲気に終始しているように、中学時代の自分には感じられた。それは前向きな怒りとか障壁を打ち倒すためのパワーとかではなく、なかばあきらめのような、なしくずしの底なしのどろどろと濁った何かのなかで、その状況を仕方なく受け入れつつ日々を過ごす姿だった。だからなるべく内向きに、内向的に、小さな枠の中におさまってその場にうずくまっていれば良いと、音楽でそう言っているようにも感じられた。

無目的、向かう先の無さといった状態へのあこがれ、出口なしのまま、同じ日常が延々続き、それを甘んじて受け入れるしかないような状況、自分がそんな状況に強く惹かれるきっかけが、すでにこの時期にあったのか。忌野清志郎の本「十年ゴム消し」を読んだのは、それから数年経った高校二年のときだ。ここに書き込まれている70年代の停滞の空気にはいまだに強く惹かれる。停滞であり焦燥であり不安でもあるのだが、それが同時にこの上ない安らぎであり平穏でもある時間。RCサクセションというバンドは最初から最後まで、つねに潜在的な、そういったもうひとつの姿とともにあり、その幻影と並行してずっと活動していたように思われる。もう一つのRCサクセション、それは時代が変わり80年代が訪れても、いつまで経っても何も変わらず、あいかわらず日当たりの良い国立のアパートにごろごろと寝そべったまま、適当に曲を作ったりライブをやったりしながら、過ぎ行く日々を漫然と見つめながら過ごしているだけの、まるで目的も出口も見失ったままの、何十年経ってもそのままの暮らしを続けている人たちがやってるバンドだ。

家でゴロゴロ

昨日今日などは、ひたすらYouTubeフジロックを観たり、つまらない本の続きを惰性で読んだりもしていたのだが、じーっと一日中ソファに座っているこの姿勢、これが、いけないんじゃないか、じっとうつむいて、スマホを見たり、本を読んだり、モニタを見ている、それだけの身体が、いよいよこのままドロドロと蝕まれて朽ち果てて、そんなことになったらお前どうするんだ、このまま枯れ木のようになって、日本の老人問題の対象に加わって、やれやれだが、それにしてもフジロックの、延々とつけっぱなしで聴こえてくる騒音のやかましさよ。ツイッターyoutubeコメントのとめどもなさよ。僕なんか、こうしてボケーっと見ていて、好きな曲もあれば知らない曲もあればで、でも総じて、耳をばーーっと塞ぐようなこの音たち。これらのすべてに心の底からコミットはしないし、もはやとっくに必要じゃないものも、たくさんあるのだけれもど、それでもいくつかの音には親和を感じるし、そうでもないものもあるし、全体的には良いような悪いような、はっきりしないのだけど、でもこの区切られた時間の枠内だけが、天国で、愛で、平和だと感じる人々が、たくさんいることはよくわかるし、この枠外は相変わらず、奈落の下で、暗闇の底で、救済も希望もない、その認識も、たしかにわかる。世界すべてが、フジロックであれば良かったし、これからでも遅くはないからそれを目指す気持ちを捨てる必要はないとも思う。そう思いつつ、それは世間一般の話として、さて自分はこれまでとこれからに対して、どのように舵を切って、何をあきらめ、何をやるべきだと思うのか、それでそのことをきちんと真剣に自分に突き付ける気があるのか、、マジでどうするの?いい年して・・などとも思った。

昨日のみすぎたのか、あまりその自覚はないのだけど、たぶんのみすぎていて、最近のみすぎるときの、身体にもたらされる感覚というのが、若い頃とは如実に違っていて、若い頃であれば二日酔いとか気持ち悪いとか、そういうはっきりした苦痛に責め苛まれて、要するにわかりやすく罰を受けてる感じになるので、苦しみながら後悔すれば良いだけなのだが、この年齢になってのみ過ぎた場合には、身体的にはとくに、ことさら変調らしいものはないのだが、何か妙に気掛かりな、たまたま忘れているだけの重大事実を背中に背負ってるかのような、あとで卑劣かつ陰惨なやり方で、恫喝され連行されて最終的に詰め腹を切らされるのかもしれない、そんな落ち着きのない、心身の前と後のどちらに問題があるのか判然としないような、どっちつかずのもやもやした気分の悪い予感につつまれて、何とも落ち着かない時間を過ごすことになる。また少し、己が有限の身体を削ってしまったのではないか、リミットを下げてしまったのではないか、耐用年数の再計測が必要になる悪手を選んでしまったのではないか、そんな悪い予感ばかりが頭をよぎる。たぶん、臆病なのだ。最近、あまりにも臆病になったと思う。じつにみっともないし、醜い。ふだん偉そうなことばかり言うけど、所詮、自分の命が惜しいだけじゃないか。いや、でもそうですよ、そりゃそうですと開き直りたい思いもある。だって極端な話それで今急に何かあったら仕事も家も全部どうなっちゃうんですか、と詰め寄りたくなる。だったら、そう思うなら自分で節制すればいいじゃないですか、と目を上げた先の天空から呆れたような声が聞こえるので、はい、まあせいぜい、そうしようと思ってます。それはそうなんですけど、でもいつか忘れちゃうんですよ、また油断して同じことばかり繰り返すんですけど、それはどうすればいいですかね?となおも目を上げて呟くが、それ以上の反応は無い。

B面およびC面

プリンスの80年代にリリースされたアルバム、たとえば「Purple Rain」(1984)「Around the World In A Day」(1985)「Parade」(1986)「Sign O A Times」(1987)「LoveSexy」(1988)あたりまでは、当時の僕は、LPレコードで聴いた。いや正確に言うと、レンタルレコード店で借りてきたLPレコードをカセットテープにダビングして、それを聴いていた。

ビートルズも、「MARVY」までのRCサクセションも、ほとんどそんな感じで聴いていた。ちなみにローリング・ストーンズは、はじめて聴いたのが「Let it bleed」で、これはCDで聴いた。レッド・ツェッペリンも1stアルバムをやはりCDで聴いたし、その他もクラシック・ロックからジャズからその他までほとんどの音楽をCDで聴いた。そうやって積極的に音楽を聴き漁り出したのは、やはり世の中がCD全盛となりCDによるリイシューが立て続けに行われて古今東西の音楽を聴くことが容易になったからという側面が大きい。要は聴くタイミングだけの違いなのだが、それでも僕だけの中で、僕にとってビートルズやベスト盤のビーチボーイズはレコード時代のバンドで、ストーンズやツェペリンはCD時代のバンドである。ちなみにCD音源をカセットテープにダビングしていた時代ももちろんあった。カセットテープは90年代半ば過ぎまで使っていたはずで、その後、MDが登場したのだった。ただしCDをカセットにダビングする場合は片面にCD一枚分を入れるようにしていたと思う。

ということでレコードで聴いた音楽は、中学生から高校生のはじめにかけての幾つかに限られるのだが、で、何が言いたいのかというと、僕にとってレコード時代のミュージシャンであるプリンスとかビートルズとかRCサクセションは、記憶の中でそのアルバムという作品内の一単位に、A面B面の分割がはっきりと刻まれているということだ。すなわちひとつの作品ではあるけどそれが同時に表裏二つの世界をもっている、ということだ。

勿論、どのレコードもCD時代以前の古いものであればA面とB面はあり、そのことは理窟ではわかるのだが、ローリングストーンズもレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリクスも自分にとっては二つの世界にはなってない。前述のいくつかの音楽だけが、そうなのだ。

このことは意外に無視できないほどの相違がある。A面とB面との間には、いったん現実に戻るしかないほどの、大きな隙間がある。これは、とてつもないことだ。たとえばビートルズの「Abbey Road」において、"I Want You"と"Hear Comes The Sun"との間には、越えられない壁というか、異なる国というか異世界というか、なにしろそれまでとこれからが全く違う何かであるとの意味合いが強烈にあるのだ。(あれがCDで漫然と「ひと連なり」で流れてしまうということの恐ろしさを、もっとたくさんの人が口にしていてもおかしくないはずだ)

CDというメディアでA面とB面の境がなくなることの功罪は、当時もおそらく色々と語られたはずで、それがどんな話だったのかは自分はおぼえてないというか知らないのだが、結果的にその変化はあったのになかったことになってるような、大したことではなかったように思われているけど、音楽も歴史的にしか聴くことができないなら、この断絶感は無視できないものだよなと、今更のように思った。

なにしろ、B面一曲目という特別としか言いようのない楽曲の立ち位置のすごさ。キラー・チューンはどれか?という話とはまた別で、導入部のほかにもう一つ設けられた別の入り口として、B面一曲目はある。この役割というか、ここに配置された楽曲のもたらす効果はじつに大きい。場合によってはアルバム全体を左右するほどの力をもつ。プリンスで言えば「LoveSexy」B面一曲目は"Dance On"だったし、ビートルズ「A Hard Day's Night」のB面一曲目は"Any Time At All"であった。裏がこれ!ということの決定的かつ衝撃的な動かしがたさとして、それらの音楽全体の記憶はある。(ちなみにプリンスはCDの楽曲再生の任意性に当初否定的で「LoveSexy」のCDリリース時には曲毎のインデックスを消去したかたちで、つまりアルバム全体を一曲扱いでディスクに収録した。)

さらに言えば、LPレコードは二枚組というのがあって、これだとB面およびC面およびD面に、各一曲目が存在する。一つの作品が四つの世界に分かれていることになる。当時の二枚組という構成が、どれほど壮大で果てしない情報量を内包したものだったか、想像がつくだろうか?もちろんCDにも二枚組はあり、CDの二枚組が、ようやくLPレコードと同じ構成をもつことになると考えられそうだが、これが不思議なことに、CD二枚組はやはり裏表の関係ではなくて、あくまでも二枚なのだ。だからそれはレコードのA面B面の代替にはならないのだ。CD二枚目の一曲目…という感じも、あることはあるけど…。

二枚組の壮大な底無し感を感じさせるのは、やはりビートルズThe Beatles」(White Album)であろう。B面一曲目"Martha My Dear"、C面一曲目"Birthday"、D面一曲目"Revolution 1"って…こう書いただけでアルバム全体をすでに一気に語ってしまったかのような、一瞬気が遠くなるような大きさを感じる。ほとんど、旅みたいだ。プリンスで二枚組なら、言うまでもなく「Sign O A Times」で、B面一曲目"It"、C面一曲目"U Got the Look"、D面一曲目"The Cross"と、ほとんどトライアスロンのような過酷な体験に思えてくる。ひとつひとつの世界に始まりと終わりがあって、しかし最初と最後は規定されている。そのことの盤石さ。RCサクセションなら「MARVY」がLPレコードのみ二枚組で、B面一曲目"CALL ME"、C面一曲目"HONEY PIE"、D面一曲目"DANCE"、…こう列記していても、楽しいのは自分だけだとは思うが、少なくとも自分にとっては、ほとんど高校生時代のある日の真夜中の孤独なひとときが、いまだにありありとよみがえってくるような、今なお鮮烈な何かを喚起させうる文字列たちだ。

しかしこうして考えてみると、どの二枚組においてもC面が、好むと好まざるとにかかわらず、どうしても起承転結の「転」の役割になってしまって、結の余韻がことのほか強くなるのが特徴かもしれないとも思った。