B面およびC面

プリンスの80年代にリリースされたアルバム、たとえば「Purple Rain」(1984)「Around the World In A Day」(1985)「Parade」(1986)「Sign O A Times」(1987)「LoveSexy」(1988)あたりまでは、当時の僕は、LPレコードで聴いた。いや正確に言うと、レンタルレコード店で借りてきたLPレコードをカセットテープにダビングして、それを聴いていた。

ビートルズも、「MARVY」までのRCサクセションも、ほとんどそんな感じで聴いていた。ちなみにローリング・ストーンズは、はじめて聴いたのが「Let it bleed」で、これはCDで聴いた。レッド・ツェッペリンも1stアルバムをやはりCDで聴いたし、その他もクラシック・ロックからジャズからその他までほとんどの音楽をCDで聴いた。そうやって積極的に音楽を聴き漁り出したのは、やはり世の中がCD全盛となりCDによるリイシューが立て続けに行われて古今東西の音楽を聴くことが容易になったからという側面が大きい。要は聴くタイミングだけの違いなのだが、それでも僕だけの中で、僕にとってビートルズやベスト盤のビーチボーイズはレコード時代のバンドで、ストーンズやツェペリンはCD時代のバンドである。ちなみにCD音源をカセットテープにダビングしていた時代ももちろんあった。カセットテープは90年代半ば過ぎまで使っていたはずで、その後、MDが登場したのだった。ただしCDをカセットにダビングする場合は片面にCD一枚分を入れるようにしていたと思う。

ということでレコードで聴いた音楽は、中学生から高校生のはじめにかけての幾つかに限られるのだが、で、何が言いたいのかというと、僕にとってレコード時代のミュージシャンであるプリンスとかビートルズとかRCサクセションは、記憶の中でそのアルバムという作品内の一単位に、A面B面の分割がはっきりと刻まれているということだ。すなわちひとつの作品ではあるけどそれが同時に表裏二つの世界をもっている、ということだ。

勿論、どのレコードもCD時代以前の古いものであればA面とB面はあり、そのことは理窟ではわかるのだが、ローリングストーンズもレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリクスも自分にとっては二つの世界にはなってない。前述のいくつかの音楽だけが、そうなのだ。

このことは意外に無視できないほどの相違がある。A面とB面との間には、いったん現実に戻るしかないほどの、大きな隙間がある。これは、とてつもないことだ。たとえばビートルズの「Abbey Road」において、"I Want You"と"Hear Comes The Sun"との間には、越えられない壁というか、異なる国というか異世界というか、なにしろそれまでとこれからが全く違う何かであるとの意味合いが強烈にあるのだ。(あれがCDで漫然と「ひと連なり」で流れてしまうということの恐ろしさを、もっとたくさんの人が口にしていてもおかしくないはずだ)

CDというメディアでA面とB面の境がなくなることの功罪は、当時もおそらく色々と語られたはずで、それがどんな話だったのかは自分はおぼえてないというか知らないのだが、結果的にその変化はあったのになかったことになってるような、大したことではなかったように思われているけど、音楽も歴史的にしか聴くことができないなら、この断絶感は無視できないものだよなと、今更のように思った。

なにしろ、B面一曲目という特別としか言いようのない楽曲の立ち位置のすごさ。キラー・チューンはどれか?という話とはまた別で、導入部のほかにもう一つ設けられた別の入り口として、B面一曲目はある。この役割というか、ここに配置された楽曲のもたらす効果はじつに大きい。場合によってはアルバム全体を左右するほどの力をもつ。プリンスで言えば「LoveSexy」B面一曲目は"Dance On"だったし、ビートルズ「A Hard Day's Night」のB面一曲目は"Any Time At All"であった。裏がこれ!ということの決定的かつ衝撃的な動かしがたさとして、それらの音楽全体の記憶はある。(ちなみにプリンスはCDの楽曲再生の任意性に当初否定的で「LoveSexy」のCDリリース時には曲毎のインデックスを消去したかたちで、つまりアルバム全体を一曲扱いでディスクに収録した。)

さらに言えば、LPレコードは二枚組というのがあって、これだとB面およびC面およびD面に、各一曲目が存在する。一つの作品が四つの世界に分かれていることになる。当時の二枚組という構成が、どれほど壮大で果てしない情報量を内包したものだったか、想像がつくだろうか?もちろんCDにも二枚組はあり、CDの二枚組が、ようやくLPレコードと同じ構成をもつことになると考えられそうだが、これが不思議なことに、CD二枚組はやはり裏表の関係ではなくて、あくまでも二枚なのだ。だからそれはレコードのA面B面の代替にはならないのだ。CD二枚目の一曲目…という感じも、あることはあるけど…。

二枚組の壮大な底無し感を感じさせるのは、やはりビートルズThe Beatles」(White Album)であろう。B面一曲目"Martha My Dear"、C面一曲目"Birthday"、D面一曲目"Revolution 1"って…こう書いただけでアルバム全体をすでに一気に語ってしまったかのような、一瞬気が遠くなるような大きさを感じる。ほとんど、旅みたいだ。プリンスで二枚組なら、言うまでもなく「Sign O A Times」で、B面一曲目"It"、C面一曲目"U Got the Look"、D面一曲目"The Cross"と、ほとんどトライアスロンのような過酷な体験に思えてくる。ひとつひとつの世界に始まりと終わりがあって、しかし最初と最後は規定されている。そのことの盤石さ。RCサクセションなら「MARVY」がLPレコードのみ二枚組で、B面一曲目"CALL ME"、C面一曲目"HONEY PIE"、D面一曲目"DANCE"、…こう列記していても、楽しいのは自分だけだとは思うが、少なくとも自分にとっては、ほとんど高校生時代のある日の真夜中の孤独なひとときが、いまだにありありとよみがえってくるような、今なお鮮烈な何かを喚起させうる文字列たちだ。

しかしこうして考えてみると、どの二枚組においてもC面が、好むと好まざるとにかかわらず、どうしても起承転結の「転」の役割になってしまって、結の余韻がことのほか強くなるのが特徴かもしれないとも思った。