サクセション

RCサクセションはデビューが1970年、それから長い不遇時代を経て、1980年頃にブレイクするという経緯をもつ。僕がRCサクセションをはじめて聴いたのは中学生のときで、当時「HEART ACE」(1985年)が発売されたばかりだった。数年前のブレイクぶりが凄かった反動で、85年はすでに人気に陰りが見え始めて…という印象だったように思われるし、本人たちもそれを自覚したような発言をしていたように記憶する。当時RCのメンバーたちは、基本的に怒ってるか、何らかの不平不満を抱えている人達で、曲にもその思いが濃厚に漂っていて、つねに事務所や社長と揉めているか、バカなファンにイライラさせられつつやりたくもない演奏をやるか、大して売れないレコードを作って、たまに理解者の恋人と部屋で二人過ごすか、半分夢の中みたいな幻想を見ているか、そんなときだけはやや気が楽で…という雰囲気に終始しているように、中学時代の自分には感じられた。それは前向きな怒りとか障壁を打ち倒すためのパワーとかではなく、なかばあきらめのような、なしくずしの底なしのどろどろと濁った何かのなかで、その状況を仕方なく受け入れつつ日々を過ごす姿だった。だからなるべく内向きに、内向的に、小さな枠の中におさまってその場にうずくまっていれば良いと、音楽でそう言っているようにも感じられた。

無目的、向かう先の無さといった状態へのあこがれ、出口なしのまま、同じ日常が延々続き、それを甘んじて受け入れるしかないような状況、自分がそんな状況に強く惹かれるきっかけが、すでにこの時期にあったのか。忌野清志郎の本「十年ゴム消し」を読んだのは、それから数年経った高校二年のときだ。ここに書き込まれている70年代の停滞の空気にはいまだに強く惹かれる。停滞であり焦燥であり不安でもあるのだが、それが同時にこの上ない安らぎであり平穏でもある時間。RCサクセションというバンドは最初から最後まで、つねに潜在的な、そういったもうひとつの姿とともにあり、その幻影と並行してずっと活動していたように思われる。もう一つのRCサクセション、それは時代が変わり80年代が訪れても、いつまで経っても何も変わらず、あいかわらず日当たりの良い国立のアパートにごろごろと寝そべったまま、適当に曲を作ったりライブをやったりしながら、過ぎ行く日々を漫然と見つめながら過ごしているだけの、まるで目的も出口も見失ったままの、何十年経ってもそのままの暮らしを続けている人たちがやってるバンドだ。