何のきっかけもなく、ただ無目的や無根拠を希求したくなる理由はおそらくなくて、たぶん過去のどこかに、いかにもわかりやすい原因があったはずだ。これまでの目的や根拠が自分で信じられなくなった、そんなよくある話の、たまたま我が身に降りかかってきた危機への一反応と考えた方が良い。
自分の体内に、自分が自分たる根拠がぎっしりと詰まっている、それを根拠なく信じていられるのが笑うところだが、とにかくそれが一度崩れる、指針を一時的に見失って、危機がおとずれる、焦燥や不安のほか、自棄の思い、振出しに戻りたい思い、誤魔化しておきたい思い、それらの混ざり合いが、一気に無目的と無根拠の側に自らを移動させたくさせる。
とはいえ、そのようにして生成される無目的と無根拠への希求は、さしあたり手に触れた適当な対象によってあがなわれるから、行き着いた先がゲームセンターに入り浸ってピンボールにふけることだったりもする。それを選び取ること自体の、無目的と無根拠さの感触に重点が置かれている。
会社員になるという選択もその延長線上にある。通勤して仕事して給与所得を得て納税する道に加わる、未知であること、無知であること、その無目的と無根拠性に惹かれている自分を見出すことになる。
お前は、ヘンなやつだし、かなり変わってるけど、やる気だけはものすごくあるから、俺はその点に関しては、お前をものすごく認めてるんだよ、と、会社に入ったばかりのときに、先輩のFさんから言われた。