老婆

齢八十くらいだろうか。老婆、子供のように、小さな身体、この暑いなか、区民事務所まで、ひとりで歩いてきたのか。何か申請の用事か、窓口の人と、やり取りしてる。耳が遠いのだろう、何度も聞き直して、しばらく間が空いて、そのあと一言二言答える。
窓口の人が、ゆっくりと、大きな声で話す。
「ご本人かどうか確認させてくださいねー、以前にお住まいだったのは、どこですかー?」
婆さん、何度か聞き返して「すぐ近くよ、足立区の、そこの…」
窓口の人「えーと、今住んでるところじゃなくて、以前住んでたところですよー、おぼえてないですか?」
婆さん、「あらあ、ちょっと、うーん、どこだったかしらねえ。」
そのあとしばらくして「それじゃあ、ご主人のお名前と生年月日おしえていただけますかー?」
「もう亡くなったのよー」と老婆即答。
「あーそうですかあ。」
「もうずっと前だよー」
「ご主人のお名前と、お生まれの年、わかりますー?」と、窓口の人。
「名前はねえ、ニトウ、マサル!それで、えーーーっと、生まれが、昭和の、四年だったか、四年かねえ。」
「四年ね。」
「そう、四年の、七月の、二十六日だったかー。」
「あ、そうですかあ。はい」
しばらく経って、コンピュータの画面を見ながら
「お婆ちゃん、ご主人お亡くなりになったの、そうとう前のことかしらねー」
「そうよー、もう二十年も前だよー」と老婆即答。
「ああ、そうですかあ、わかりました。じゃあこっちで、あとで、ちょっと調べておくわね。じゃあ席ですこしお待ちいただけますか。」
老婆、席に座る。僕は振り向いてみる。小さな肩と小さな白髪頭が見える。

昭和四年だと…スマホで調べる。色川武大と同年齢だな…と思う。二十年前ということは、七十歳過ぎで亡くなったのだろうか。

自分の用事が住んだので、出口に向かったら、さっきの婆さんも、ちょうど出ていくところだった。婆さんが、自動ドアの前で、押せば開くボタンの、どこを押せば良いのかわからず、その場に立って、目につくいろんなところを押している。僕が、近寄って背後から覗き込んで、「これかね?」と言って、ボタンを押したら、ドアが開いた。婆さんがこちらを見上げて、あらーそっちだった、とゲラゲラ笑う。僕もフフフ!と笑って、二人で、建物を出た。炎天下の下を、それぞれの方へ向かった。

良い箇所

小説内の2、3ページにわたって書かれているある出来事がたいへん良くて、このことを文章でここに書きたいと数日前から思っていたのだが、上手く書けない。こういうことが書いてあるのだと、要約することができないし、それの何が良いのだと説明することもできないと思う。そうなると結局、いいと思った箇所を引用することになるのだが、いや、そうではなくて、どうにかもっとやりようがないかと考えてみる。あまり大げさに考えず、力を抜いて、ささっと軽く書いたら、かえって上手く良さが出るのではないか、などと思って、ちょっと書いてみたりもするが、ぜんぜんダメなので途中であきらめる。この良さは、書いてあることの良さでもあるけど、書いてある動きの良さでもあるのだと思う。だから書いてあることだけで考えてもダメで、目の前のこの書いてある感じも含めて良いと思っている。ほんの数十行に過ぎないが、それに掛かる短い時間にも良さが分配されている。それもすべて込みで良いのだということを伝えないといけないのだが、それはかなり厳しい。

夏休み

こうして、すわって、ビールのんで、窓の外は晴れたり曇ったりで、テレビでロックフェスの映像がえんえんやってる、このとりとめのない、だらだらとした、ただ色合いが変わっていくだけの時間が流れるのが夏だ。そういうのを、満足しながら味わうことが、意外にむずかしいもので、夏だからと言い訳しなければ自分にそれを許せないのはなさけないのだが、ともかくも大義名分をもらって、立派な病名をもらってあきらめて臥せってる療養患者のようになってしまえるから、それは助かる。

君島大空はギターノイズの扱いの上手さ、繊細な声との組合わせが絶妙。
STUTSは楽しい。フェスだ。
CEROは熟練度、円熟味、熟成感が増してしまってすごい。「魚の骨 鳥の羽根」「Buzzle Bee Ride」がすばらしい。
仲井戸麗市の歌を久々に聴いた。しかし全然変わらないな、これで七十歳越えてるのか…。
電気グルーブは90年代はそれなりに聴いていたけど「良い」と思ったことが今まで一度もない、電子音楽好きでもそういう人はけっこう多いと思う(卓球ソロも昔のはぜんぜん聴けなかったが数年前のはわりと聴いたかも)。好きな要素が、だいたい全体の1割~2割以下という感じ。これほど人気がある理由も、自分には謎だ。
砂原良徳は、直球なテクノで、好きな音だが、こういう感じって十何年前から、ぜんぜん変わらないのだな。たぶんさらに二十年後でも、同じように聴けてしまうのだろうか。

配信は終わっても、フェスは真夜中でもずーっとやってるところがいいな。

犬や猫が死ぬのを見るのは、かわいそうすぎて耐えられないけど、馬もそうだ。馬の死ぬ瞬間を見たことは無いけど、映画や小説で、馬はしょっちゅう死ぬ。馬はじつに気の毒だ。馬は戦争のときに駆り出されるから、どうしても危険な場所に連れて行かれて、人間の都合につきあわされて、場合によっては、悲惨な最期を遂げることになる。戦場で、馬は、自分が死ぬ理由をわからない、そのように人間は考えたいが、じっさいは、そんなことも無いのかもしれない。馬は自分の現状や、その戦局や、政治家の顔や、主人とその家族、友人、村の人間たちすべての者たちの浅はかさや、愛らしさや憎めなさ、その渦中に自分も育ち、働き、ここに連れてこられ、やがてもう間も無く、自分に死が訪れるのかもしれないことを、よくわかっていて、その虚しさや憤りを充分に内心に封じ込めて、最終的には受容したうえで、騎馬隊の兵士を乗せて、行軍しているのかもしれない。この戦争に参加するために、俺は生まれてきたのだなあと、自分のことを、生まれてからこれまでのことを、手短に思い返しているのかもしれない。この戦争はバカバカしい、まったくの無駄死にではないか、でもそれでも、今の義務をまっとうすることこそ、自分が自分の生をまっとうすることに重なるのかもしれないなあと、静かなあきらめと、いまこうして地面を踏みしめていることのかすかなよろこびにも見紛うような、浅い海のような哀しみのなかで、埃っぽい道を歩むのかもしれない。そして馬は、やがて死ぬのだ。いま自分が死のうとしていることをはっきりと自覚しながら、地面に横たわり、四肢を彷徨わせて、虚空を蹴って、やがて朦朧とした景色のなかに浮かんだ、まぼろしのような自分の姿に、自らそっと寄り添おうとするのだ。

腕時計

腕時計を見るという仕草は、高校生あたりから自分の振る舞いとして自然に身に付いていたはずで、時間を知りたければ無意識に腕時計の盤面を確認するのが当然だった。それでたぶん、最後に使っていた腕時計が壊れたのが十年ほど前だと思うが、それ以来ずっと腕時計を持たない人として生きてきた。時間を知りたければスマホの画面を見る人として生きてきたのだ。それが最近、AppleWatchを身に付けたので、ものすごく久しぶりに腕時計を見るという所作を、自分の中に復活させることになったのである。いや正確に言えば、まだ復活出来てないというか、時間を知りたいと思ったときに、無意識のうちに腕を上げて時計を見るという振る舞いが、脳神経からの指令として即座に呼び出されない。ほんの一瞬のタイムラグをもって、ようやく時計の盤面を見ているし、そのことが自覚できてしまう。要するに、まだぎこちないのである。しかもアナログ針表示の長い針と短い針と秒針の関係を見て、それを脳内で時間に置き替えるのに掛かる時間も、明らかに遅いような気がする。昔はたぶん、全くそんなことはなかったはず。たとえば六時三十分二十秒なら、その三つの針の「形」で瞬時にその時間を認知していたはずなのだが、現状ではとてもそのレベルに達してない。しばらくじっと盤面を見て、脳内で時間に変換するまでの過程を、もう一つの意識がはっきりとスキャンできてしまえるくらいの遅さである。ちなみに針表示ではなくデジタル数字表示の方が、まだ認識するまでのスピードは速いかもしれないのだが、そこはあえて針表示のままで使用中である。今まで使ってきた時計はたぶん、ほぼすべて針表示だったはずだ。

耐久

先週からクロード・シモンの「フランドルへの道」を、ゆっくりゆっくり、一行ごとに、誰が誰に何を言い、何を思い、その場所がどこで、彼らがどんな位置にいて、視点はどこで切り替わり、このあとどこへ場面が移っていくのか、それを一々、可能な限り把握しきった状態を保ちながら、時間はいくら掛かってもいいから、じっくり読んでいこうという試みを続けているのだが、これが思いのほか楽しい。

しかし、出来事を追えば追うほど、むしろだからこそなのか、目と鼻の先に突き付けられ嗅がされる匂い、湿度、雪、雨の冷たさ、気分の塞ぐような、夜の闇、何もかもが雨と闇に溶けているみたいな、馬舎の匂いと馬具の手触りの場所に、ひたすら戻ってくるかのような、そういった肌感覚ばかりが湧き出てくる感じだ。いくつもの短い夢を見続けていて、ふと意識を取り戻すと、そんなジメジメした最悪の場所にいる自分を見出し、またいつか別の夢へ意識が飛び…というのをひたすらくりかえしてる状態に近い。

若い頃の、乗馬だか競馬だかの思い出、女の子の思い出、お金持ち一族への屈託、母、妻のこと、それらの一つ一つは、正直どうでもいい、他人事な、くだらないようなことばかりが、それでも泡のように沸いては消えていく。現実の確からしさがあるとすれば、それは、この身がおぼえる不快感だけ。本を読むという行為と、不快な感覚をじっと耐えるという行為に、何らかの共有可能性があるとでも言うかのような。前にヴィスコンティの映画の、何時間もえんえんとスクリーンを観ていたときの感じを思い出しもする。

OR

ダムタイプは実際の舞台上演を観たことがないし、映像記録でも「OR」までしか観ていないので、正直いろいろ語る資格もないようなものだが、VHSの「OR」を久々に観た。

「pH」や「S/N」もそうだが、ダムタイプは冒頭でいきなり強烈なインパクトがある。最初の15分かそこらで、その作品の印象の大部分が決定されてしまうほどである。「OR」もまさにそうで、これほど素晴らしいオープニングの5分間がこの世にあるだろうかと思わされ、ある意味ダムタイプ的美学の最高到達地点ではないかとさえ思わされるのだが、あらためて観直してみると「OR」という作品そのものは、かなり多様で雑多な要素がいっぱい詰まっているのだった。古い記憶から来る先入観で、きわめてストイックで耽美的なイメージを想像していたのだが、「OR」じゃなくてむしろ「pH」の方が、よほどストイックな印象である。観たのが久々過ぎて、ほとんど忘れていたからとはいえ、この再見での印象は意外だった。

「OR」そして「s/n」で強く印象的なのは、やはり強烈に使用されるストロボ照明であろう。この明滅下において人体のイメージは極限まで希薄化・抽象化する。マイブリッジの写真のような、あるいは磁気テープやレコードを逆再生したときのような「テクノ」テイストが、舞台においてここまで実現できるというのはすごいことだ。さいきんは知らないけど、一時期は現代美術などのインスタレーションでもストロボを使った展示とか、ずいぶんよく見かけた気がする、そもそもプロジェクターのこういった使い方とか、機材の露出のさせ方とか、展示作品としての"上映時間"に対する感覚とか、ダムタイプが現代美術にあたえた影響というのはかなりのものではないかと思う。

「OR」も「pH」も、「三人の女」が、演者として舞台に立っている。彼女らが、作品の主要登場人物である。但し匿名的な「pH」に比して「OR」の女たちは、それぞれ「人格」が与えられている感じはある。すくなくとも表情が見え(表情を使った演技がある)、衣服にも、個別性や与えられた社会性のようなものが垣間見える。このことが「OR」の世界に、不思議な具体性をあたえている。何かどこかで我々の世界と地続きな空間での出来事なのではないかという感じを起こさせる。ある同一性に基づいた登場人物たちがおりなす、なんらかの物語なのではないかとの予感を許してくれそうな気配さえある。

そのようでありながらも「OR」は、きわめて美的にストイックなイメージとあやういほど具体的な人間のイメージとで、ほとんど分裂していると言っても良い。ストイックさが、最初と最後で蓋を閉じているので、事後的には全体がそんなイメージに感じられるのだが、真ん中には全くそうではないものが、ほぼ脈絡なく詰まっているという感じだ。もっと言えば、観方によっては、けっこう弛緩している箇所さえ、見受けらえるように思う。あまり厳密に、質を問うことなく、やりたい要素をなるべく投げ込んでみただけの結果が、これなのではないかとも思われる。

これは"語り"や"言葉"を、あるいはある種の"政治"や"主張"までをも大胆に取り込んで、ほとんど作品そのものが崩れる寸前にまでごった煮にしたかのような「S/N」の考え方を踏襲しているとも言えるかもしれないが、「OR」はやはり「S/N」とは本質的に違う作品とも言えるだろう。ダムタイプにおいてはおそらく「S/N」と「OR」との間に、強い断絶の線が引かれている気がする。それはもちろん、言うまでもない古橋悌二の存在が、在る/無いということでもある。「OR」は、古橋悌二を除くメンバーたちによって作られた最初の作品である。