犬や猫が死ぬのを見るのは、かわいそうすぎて耐えられないけど、馬もそうだ。馬の死ぬ瞬間を見たことは無いけど、映画や小説で、馬はしょっちゅう死ぬ。馬はじつに気の毒だ。馬は戦争のときに駆り出されるから、どうしても危険な場所に連れて行かれて、人間の都合につきあわされて、場合によっては、悲惨な最期を遂げることになる。戦場で、馬は、自分が死ぬ理由をわからない、そのように人間は考えたいが、じっさいは、そんなことも無いのかもしれない。馬は自分の現状や、その戦局や、政治家の顔や、主人とその家族、友人、村の人間たちすべての者たちの浅はかさや、愛らしさや憎めなさ、その渦中に自分も育ち、働き、ここに連れてこられ、やがてもう間も無く、自分に死が訪れるのかもしれないことを、よくわかっていて、その虚しさや憤りを充分に内心に封じ込めて、最終的には受容したうえで、騎馬隊の兵士を乗せて、行軍しているのかもしれない。この戦争に参加するために、俺は生まれてきたのだなあと、自分のことを、生まれてからこれまでのことを、手短に思い返しているのかもしれない。この戦争はバカバカしい、まったくの無駄死にではないか、でもそれでも、今の義務をまっとうすることこそ、自分が自分の生をまっとうすることに重なるのかもしれないなあと、静かなあきらめと、いまこうして地面を踏みしめていることのかすかなよろこびにも見紛うような、浅い海のような哀しみのなかで、埃っぽい道を歩むのかもしれない。そして馬は、やがて死ぬのだ。いま自分が死のうとしていることをはっきりと自覚しながら、地面に横たわり、四肢を彷徨わせて、虚空を蹴って、やがて朦朧とした景色のなかに浮かんだ、まぼろしのような自分の姿に、自らそっと寄り添おうとするのだ。