腕時計

腕時計を見るという仕草は、高校生あたりから自分の振る舞いとして自然に身に付いていたはずで、時間を知りたければ無意識に腕時計の盤面を確認するのが当然だった。それでたぶん、最後に使っていた腕時計が壊れたのが十年ほど前だと思うが、それ以来ずっと腕時計を持たない人として生きてきた。時間を知りたければスマホの画面を見る人として生きてきたのだ。それが最近、AppleWatchを身に付けたので、ものすごく久しぶりに腕時計を見るという所作を、自分の中に復活させることになったのである。いや正確に言えば、まだ復活出来てないというか、時間を知りたいと思ったときに、無意識のうちに腕を上げて時計を見るという振る舞いが、脳神経からの指令として即座に呼び出されない。ほんの一瞬のタイムラグをもって、ようやく時計の盤面を見ているし、そのことが自覚できてしまう。要するに、まだぎこちないのである。しかもアナログ針表示の長い針と短い針と秒針の関係を見て、それを脳内で時間に置き替えるのに掛かる時間も、明らかに遅いような気がする。昔はたぶん、全くそんなことはなかったはず。たとえば六時三十分二十秒なら、その三つの針の「形」で瞬時にその時間を認知していたはずなのだが、現状ではとてもそのレベルに達してない。しばらくじっと盤面を見て、脳内で時間に変換するまでの過程を、もう一つの意識がはっきりとスキャンできてしまえるくらいの遅さである。ちなみに針表示ではなくデジタル数字表示の方が、まだ認識するまでのスピードは速いかもしれないのだが、そこはあえて針表示のままで使用中である。今まで使ってきた時計はたぶん、ほぼすべて針表示だったはずだ。