フィッシュマンズについて(Vol.2)


若いながらも歴史あり 96.3.2@新宿LIQUID ROOM [DVD]


それにしても、フィッシュマンズの、演奏技術の高さはすごい。で、ものすごい古典的ロックバンドだと思う。


元々The Whoみたいなのをやりたかった。ってところも頷ける。「感謝(驚)」という曲なんかは、ベース・ドラム・ギター・キーボードによるアンサンブルが一体となった瞬間の快感といったら筆舌に尽くしがたいものがある。フィッシュマンズといえば、リズムトラックのかっこよさみたいな印象が強かったと思うが、ギターソロみたいな部分も実はふんだんにある。「Long Season」なんていう曲は、曲の作りとしては70年代のプログレ的な、ものすごく古臭いものだろう。でも、そういう部分がバンドサウンドをすごい重厚で奥行きのあるものにさせてる気がする。活動期にライブを一度も観ていないんで残念ですが。。


で、よく言われるが、佐藤伸治の書く詩は忌野清志郎からの影響があからさまに現れているものが多い。


「〜なのさ」とか「〜いいのさ」という言い回しの多用はもとより、「静かに暮らそうぜ」とか「暮らしが…」とか、リアルな生活を感じさせる言葉の使用とか、「人生は大げさなものじゃない…」などというやけに大げさにも聞こえる表現とか、「僕らふたりぼっち」とか「眠ってる顔が一番好きだから」といったような「僕とあの娘」だけでできてる世界の、それ以外から隔絶された冷え冷えとした孤独感とか、「僕ら半分夢の中」といったような幻覚のような朦朧とした意識とか(というか、RCの曲「甲州街道はもう秋なのさ」にそのまま出てくる詩だ)


元々忌野清志郎は、「市営グラウンドの駐車場」とか、「多摩蘭坂を登りきる手前の坂の途中の家を借りて済んでる」とか、「坊主お前のために俺の会社は潰せねーな」とか、それまでの、日本語のロックには使用されなかったような言葉を多用することで、そういった音楽が表現できる可能性を広げたところがある。あの虚構的・作為的な歌唱法と相反するかのような、日常のリアリティそのものとして聞こえてくるこれらの歌の世界が、多数の人間を虜にしたわけだ。佐藤伸治も、おそらく、かつては、その一人だったのだろう。


忌野清志郎に関わったら、運が悪いと、死ぬかもしれない。などと言ったら、色々な人を不愉快にさせてしまうだろうけど、忌野清志郎に関わって死んだ人というのは、他にもいると思う。もちろん関わった事が原因で。とは言っていないが・・・でもなぜか、死ぬ。圧倒的な才能のちから?僕はバカな事を言っているのだろうか?


フィッシュマンズのライブパフォーマンス映像はいろいろある。96年新宿リキッドルームでのライブを収録した「若いながらも歴史あり」を観てると、ステージアクション。というか、ちょっとしたしぐさやなんかも、完全に忌野の霊がとりついてる感じがする。