80年代の黄昏と私


小学生くらいのとき、友達の家に遊びに行くと、その友達のお兄さんの日当たりの良い部屋には大友克洋の「ハイウェイスター」とか諸星大二郎の「コンプレックス・シティ 」とかが散らばっており、YMOのUS版のファーストのインパクトのあるジャケットがレコード棚から覗いていた。そのお兄さんは「宇宙の戦士」のパワードスーツのイメージイラストそっくりな絵を、細いシャープペンで線をたくさん重ねながら描くのが上手く、その上手さに僕はいつも驚嘆していて、描いたノートの切れ端を貰って帰ったりした。


そのお兄さんは、エイリアンもスターウォーズのトルーパーも大変器用に描く人で、僕は非常に憧れの思いを持ったのだが、なにもかも描けるというのは、それらを何もかも掌中にしているように感じられるし、そうなれば何もかも自分が囲った世界の中に配置できるように見えて、本当にうらやましく、僕ならこういうのを描くだろう…等と想像を逞しくしたりした。。でも自分で描くと、砂を噛むような思いを味わうのだった。。で、そのお兄さんをまるで鳥山明のようだと思った。鳥山明は、僕はその後、ドラゴンボールなどもほぼ読まなかったので、未だに僕の中では鳥山明といえばDr、スランプで、あの当時のサブカルが満載になった世界。というイメージが強い。


そのお兄さんが、当時まだ登場したばっかりのレンタルビデオ店で「ポルターガイスト」とか「キャットピープル」とか「バンデッドQ」とかを借りてきて、それを皆で一緒に観た。それとか、テレビ録画された「アメリカングラフティ」とか「グローイングアップ2・ゴーイングステディ」とかを観た。アメリカングラフティは観てると泣いてしまうんだよなあ。とその人は言っていて、僕はへーと思ったのだが、観てもイマイチ良く判らなかった。まあベトナム戦争とかの事も知らなかった頃だ。


で一時期、僕は、そのまま50'sのオールディーズばっかり聴くような、変な小学生になった。そういうオールディーズを聴いて、前後の文脈とか意味とかと全く切り離された、只の甘い感傷だけを味わうのが好きな、変わった小学生となった。しかし、実はそれほど変わってる訳ではなくて、むしろまっとうで、実際、感傷なんていうのは誰でも、実はいつでもどこでもそういう風に文脈から切り離されて、単なる泣けるスパイスとして消費するのだろうけど。


まあでも、友達とキャデラックに乗ってビールをがぶ飲みしながら青春の馬鹿騒ぎをするとか、そういうのにあこがれてる小学生という、やはり訳のわからない事態も招くのだが、僕にとってその頃(80年代)は、そういう無意味に感傷的で黄昏てる感じであって、そういう皆と同じ気分で連帯されている大人の世界を想像していたりもしたのだが。


…で、今それを思い出すと、なんというか、当時、気分として感じていた感傷的な思いが、更に自分の子供時代の記憶として、更なる感傷的な色合いで思い出されるという、感傷的な感傷。…云わば「感傷の入れ子構造」が生成されてしまうという、僕も本当に、大衆消費社会の子だなあと思う。