働く若い女性について


内田恭子さんというアナウンサーは、なんだかぼやーっとした感じの人だなーと思う。今、テレビカメラで撮影されているその瞬間瞬間を、ただ立ち位置に居て、必要な言葉をしゃべり、笑うべきところで笑い(その笑顔を浮かべるタイミングをチャーリーワッツの2.4拍目のように微妙にずらしてくるところがすごい)…あとは大体でやり過ごす事、それ以上の事を、ほぼ何もしていないかのように見える。それで、たまに、すごい適度な感覚というかタイミング感覚で、なんか適当に貼り付けたような笑顔をずーっと湛えているときもある。…正直、あんまりキレイだとか思わないし、萌え的な感情も沸き起こらないのだが…そういう感じを受けないのは、僕の個人的な嗜好性の問題であろうけれども、しかし、その一方でそういう個人的趣味を越えた強さを、この女性の醸し出すものに認めざるを得ないな、とも思う。なるほどこの女性に限らず、女性芸能人だとか女子アナだとか、そういう種族の中でも特に人気があったり話題になったりする人というのは、やはりどこか、常にそういう強さ、というか新しさを持っているのかもしれない。


女性が、女性として外見を装い、化粧をし、笑顔を作ったりちょっとしたしぐさとか振る舞いなどにも気を配り、何でもない会話を何でもない会話として、きっちり成立させ得る程度には社会性も身に付けようと、色々孤軍奮闘努力するとして、で、例えばそれが、社会の中でとりあえず女性に求められているニーズに対する、とりあえずの、あくまでも最初の段階だけの服従として、…後に全く純粋な自己実現へと繋がっていく努力に置き換わっていく事も想定しつつ、かなりの情熱と計算をもって敢行されたとする。そのときのそういう努力というのは、おそらく目の前の相手に、それ相応の評価を受ける事が目指されるし、その相手の背後に広がっているであろう世界全体からも、それ相応の評価を受け続けていく事が期待されるのだと思う。しかし、それと同時に、そのような努力を重ねる傍ら、ふと我に返って、自室にいて、冷静かつ客観的に今の状態を自己分析してみても、そのとき確かに自分が、以前より確かな「洗練」を身につけ始めていて、社会的進化を遂げつつあるように見えなくも無いことをふいに自覚して、それでその事に微かな、しかし濃密な満足感を感じたりもして、何にも支えられていない、単独の不思議な幸福感に包まれたりして、…そういう内外の相乗効果に後押しされつつ、女性はなおも世界ときったはったをしていくのだろうと想像する。


(というか、この書き方だとあまりにも女性個人が男性とか社会とつまらない関係しか持ててないようで、書き方が悪い。そうではなくて、まあ特に若い女性が働き始めて、仕事を覚え始めて、3年とかしてくると、顔つきにも自信が出てきて、身のこなしにも余裕が出てきて、それで何よりもオトナっぽくなるし、キレイになるではないですか。そういう事を言いたい。まあオッサンのエロ話ですが。。)


所詮、お前は、このように思われたいと思っているのだろう?腹の中では、まったく逆のことを考えているのだろう?お前は、仕事とか客の事とか会社の事をどう思ってるのか知らないけど、まあ結局はおまえ自身の事しか、興味が無いんだろう?


…こういう攻撃をまともに喰らってしまう時点で、つまりこのような攻撃の標的として狙いを定められる時点で、戦略に何がしかの欠陥があるのだという事は否めない。そりゃ誰だって、そうですよ。こういう風に思われたいよ。あなただってそうでしょ?あらかじめ、理想だと感じられるような、憧れのスタイルがあるでしょ?それをとりあえず目指してるし、その事をわざわざおおっぴらにしようとは思わないけど、でもそれを恥ずべき事とも思わないけど何か!?ってなもんだろう。それは本当にその通りだ。とても正しい。でも、内田恭子さんのぼやーっとした顔というのは、何かそういう熾烈な戦いに絶対負けない感じがする。というか、そういう負のパワーから逸れてしまう感じ。。もしかするとその芸で、今まで勝利を重ねてきて、そういう戦歴を背負ったのっぴきならない緊張感に包まれているようにすら感じられる…などと言うのは言い過ぎか。多分、内田恭子だって、所詮、お前は、このように思われたいと思っているのだろう?と言われたら、はあ。そうかもしれませんってなもんだろうと思う。しかし、それが特に何の問題もないほど、芸が出来上がってる感じで、認めざるを得ないひとつのスタイルという感じだ。


まあでも、そんなパーフェクトなスタイルに行き着く幸せと、やっぱり客が大事、会社が大事、そのために頑張りたい。。と心から思ってしまう幸せと、どっちが良いのだろう。甲乙付けがたいかもしれない。ってか、なんで今日はこんな事書いてるんでしょうねぼくわ?