モーションキャプチャ


モーションキャプチャとは、人の腕や足や腰などの各要所にセンサーを付けた状態で、それを捉えるカメラの視界内を動くと、一連の人体の動きが、移動する座標情報として記録されるので、それをCGの動きにかぶせて絵を動かすという、まあ詳しいことはよく知らんのだが、大体そんな風な事だと思う。詳細は検索等して下さい。


おそらく90年代半ばの、32ビットのゲーム機が爆発的に普及した時期の頃に、モーションキャプチャという技術に新鮮な驚きを感じたような記憶がある。アニメ的でCG的なキャラクターが大変気持ち悪く人間臭い感じに動く違和感は、格別のものがあったように思う。たしかセガサターンとかで、カワイくキャラ化された安室なみえが踊るようなソフトとか、やはり踊る系のゲームとかに多く使われたようにも記憶されるが、…まあ細かい事は忘れたが、あれには密かに驚いていた。技術がどうとか言うよりは、どっちかっていうと、その接続感覚の粗暴さにすげえと思ったのだと思う。当時のCGなんて結構荒々しかったし色もチャチでぱきぱきだし、テレビ画面で見てるとよりひどかったが、何かの間違いのように、そういう人の匂いの生々しい感触が紛れ込むようなショックがあった。


話は脱線するが、最近の技術に不意打ちで驚かされるのは、どっちかっていうと、え!こんな小さな場所にこんな高解像度な液晶が!とか、こんな精緻な動画がこの筐体で!とか、そういう細やかなものへの驚きが多いと思う。…まあ10年前もそういうとこもあったけど、昔はそれよりも前述のCGとかが、いきなりコンビニの本棚の脇のゲーム販売什器内のモニタでぱーっと流れているような、なんか身も蓋もない整合感のない驚きだった気がする。…っていうか、あの時代、コンビニとゲームソフト会社とが、すごくいろいろ商売戦略を練っていて、僕なんかは密かに、やけに面白い事がありそうな予感を感じていたりもした。まだPCも持ってなかったし、ウェブにもアクセスしてなかった時代の事。脱線終わり。


というか、人が人らしいというのは、こういうトコロで現れるものなんだなあと痛感した。要するに、ほんのちょっとした事なのだ。たとえば「振り上げた手を下ろして腰にあてがうとき」とか、「前に出した足を元の位置に戻して、重心を移動した加重を受けるとき」とか、「しゃがんでお尻をかかとに乗せる位置を微妙に調整するとき」とか、そういうのである。それが、人間というものなのだ。こういう細かいしぐさを、CGで描かれたマンガみたいな絵に、そのままやられると、実に気持ち悪いものなのである。


まあ、しかし最近はこういう技術も非常に洗練されてしまったようで、前にアップルシードという映画を観たのだが、これなど大変ものすごいフルCGアニメで、各登場人物の動きなどあきらかに前述の技術で作られており、技術の結晶という感じであったが、でも相当つまんなかった。こうなると、逆になんでつまらないんだろう?と不思議なのだけれど。。しかし爆発の振動で床に倒れるだとか、くるっと側転して射撃するとか、そういうのが実になんでもなくやられていて、その滑らかさといったら絶望的なまでに、なんてことないのだ。


やっぱ、モーションキャプチャなんていうのは、とりあえずCGにかぶせて動かしたら、その効果の面白さが最高のピークなのではなかろうか。それをゲームにしたり、映画にしたりしてると、当然細かいカドとか起伏が洗練に拠って削ぎ落とされてしまって、なんでもない只の道具というかツールに成り下がってしまうのだろう。そういうのが等しく背負わねばならない退屈さを間逃れる事は難しいのだ。