坂中亮太展の終了


表題の件、何とか終わりまして、ご高覧頂いた皆様に、深く感謝申し上げます。この展示の前と後で、僕はまったく別の何かになれたような気すらします。本当にありがとうございました。


色々と、書けば書けるのだがまあ、一言で云えば、派手にコケたなあ。。という感触ではある。会期も半ばに差し掛かった頃には、もう会場に行くのがほとんど恐怖を伴うというか、これらの全責任を取らなきゃ・・という事実の重みを何とか支え、自分を無理やり鼓舞して出掛ける、という状態であった。勿論これらは紛れも無く僕の作品であり、それらがこのような結果となって展示された事の意味、というかのっぴきならない理由が、僕の中に必ずあるので、それは僕にとって、絶対譲れない何かなのだと思う。それは間違いない。だからそれは絶対に引き続き考えるのだが…とはいえ、まあそれこそざっと見渡してありゃあという表情でそのまま出口に向かわれたり、いやはや参ったね、というような薄笑いと共に立ち去られたりするのは、それなりのヘビーさではあったので、逆に会期中は恐怖に打ち震えモード存分に楽しませて頂きました(笑)…まあちょっと大げさな言い方だが、厳しい6日間であった事はたしかで、いやーやっちゃいましたかね、という感じ。。


そもそも当初の僕が極めて甘かったのは、展示という場で、これほどシビアで過激な「評価」を下されまくるような経験をするとは思っていなかったという点に尽きる。それは面と向かった上でのやり取りという形ではない場合がほとんどなのだが、それでも、いやだからこそ、無言で、あるいは微笑と共に立ち去る人々の内面で、身の毛のよだつような強力な「評価」が下されているのだという事を感じる。自分なりに考えて、自分というものを定義して、自分以外の世界をなるべく把握しつつ、その中で最善の振る舞いを為すという社会人としてのプロセスを、僕も当然駆動させているし、その上で「これでイケる!」と判断して、確信をもって展示してはいる。それは全く嘘偽りなくそうなのだが、それでも予想を遥かに超えて、そこで自分の周囲を取り巻く世界はすさまじくリアルに僕の前に立ち現れ、僕にコミットしてくれて、それでうーーーーーーーん、という感じ。ほんと、やってよかった。これは本音だ、これほどの経験が出来るとは、という感じだ。いやほんと、人は驚くほど自分が良いと感じてるものを、同じように感じてはくれないものなんですね。。ってか俺、滑稽だよなあ、今日エンタの神様とかいうお笑い番組で、相当つまんない芸人がいっぱい出てきて異様に痛い芸をやってたんだけど、なんかこいつらが痛ければ痛いほど自分にかぶって見えて、相当いたたまれなくなりました(笑)


まあでも、ゆっくり考えます。んで、また引き続き描きます。なんだかんだ云っても、発表を終えた直後なんていう時期だと、ちょっとやっぱり色々試したい事は多々出てくるって云うもんです。まあ性懲りも無くやるでしょう。もっとビシっとした、ちゃんと「立ってる」ものを作りたいです。…まあでも、今とりあえずいつものようにこうして座ってキーボードを叩いていると、何かいつもの感じになって若干癒されるようにも思う。なさけない話ですが。


会期中、慌てて最終日に観にいった石塚ツナヒロ展「TORSO」(銀座第一生命南ギャラリー:6/22終了)がすごく良かった。良かった、というか、「イメージとか、色とか、かたちとか、そういうのはこうやって扱うんだよ。こういう風にあらわすんだ。殊に女性のかたちとか、衣服とか、そういう具体的なイメージを手にするなら、これくらい用心深く注意深く繊細な手つきでやりなよ。これこそが、美術という枠を使う事で許されてるもっとも美しい振る舞いなんだよ。」と静かに説得されているようで、ぼんやりとした気分のまま会場を右往左往していた。確かにそれはとてつもなく鮮やかで繊細な手つきであって、イメージを素手で扱うときの模範解答のような感じにすら思った。僕は、きっとこういう風には出来ない。多分、その能力が無い。それをする資質がない。というか、そうではなく、僕なりの無様で滑稽な結果になってしまうのかもしれないが、しかし、そこに何らかの引っ掛かりを見出すしかないと思う。例えそれが人に訴える力を欠いていたとしてもだ。