家に居ます(書く事が無い)


ブログに何か書いてアップしたいが、さしあたり書くことがないと、キーボードを前にしたまま色々考える。本棚で適当な本を適当に開いてネタを物色したり、日中に考えてた事を思い出そうと努めたり、観た映画の事や読みかけの本の事や、そういうのを一々全部反芻して、結構、苛つきつつ、相当無理矢理自分を書くモードに盛り上げつつ、とりあえず30分くらいは考える。で、ものすごく眠いとか、もう何も出てこないとか、とりあえずこれでいいやと思ってガーっと書き始めて、ざっと書けたものを読み返して全然つまらなかったりしてうんざりしたりとか、そういうので予定就寝時間をかなり越えたような段階になると、もう諦めて寝る(睡眠不足気味の翌朝の辛さは、人の耐えなければならぬ苦痛のうちでもかなりなものである)


書かないでその日を終えてしまうというのはある種の後ろめたさを感じる。それくらいに思っていないと、毎日書くというのはなかなか続かない。僕なんかはもともと非常にそういうのが苦手な体質なのでなおさらである。書かないでいると、このまま書かないモードが現実になるのでは?というのがおそれと共に浮かび上がってくる。それが不快なので半ば無理やりでも書く。その事の是非は僕の知った事ではないので、とりあえず書く。書く事は予想以上に僕にとっては有益な事と認識している。なんか結構効率的になった。妄想とか内なる考えっていうのは元々非効率的なモノの筈だが、こうやってぐしゃぐしゃ書いていると、それでも多少は効率最適化された非効率の中に居られる気もする。まあ気休めかもしれないが。


書く素材はいくらでもある。しかし、たとえば読んだ本の事や観た映画の事を書く以上、その作品固有の何かに触発されて書かれた、というのが、はっきりと感じられるものにしたいというのがある。別に文章や論旨がもっともらしく整っているとか上手い事言えてるとか、そういうのはどうでも良くて(っていうか上手く書けないし)、人によく伝わるようにとか、そういうのもどうでもよくて、書いてる自分自身が(多少稚拙で独りよがりであっても)自分の喜びとして感じた経験と、ちゃんと拮抗するような文を実現させたい、という気持ちがあるのだ。あくまでも書いてるときの感触としてだが。だからそれが適わないと、もうそれについて書く事をとりあえずあきらめてしまう。後で自分が読み返して「…わは…」と思えるようなモノではないと、イヤなのだ。


でも、特に映画の感想なんかはまるで上手く書けないものだ。最近も結構DVDとかも何本か観たけど、どれもかなり面白くて、ちょっと僕の文ではその面白さに拮抗できないだろうと予想され、何も書けなくなってる感じだ。それ以前でも、書いたことをすべて書き直したい気持ちになるものも多い。というか、もっと書き足したいという感じだ。まったくその時の思いの一部でしかないからだ。実際はもっともっと、おそろしく豊かで多種多様で、そういうのを「これこれこうでした。こう思いました」と書く事のひどく単純な物語化、というか具象化、というかフレーミングというか、そういう自分のタカの括り方が自分で何か鼻に付くのがイヤなのだ。しかしこういう文章もまた見苦しいものだ「すごく良いと思ったけど、その理由は上手く書けません」みたいな、最強に思わせぶりでヤラシイ文章とも云える。そういうのを「ウリ」というか「芸」にするみたいな。