機械の固有性あるいは私の個性


システムは定められた条件下であれば無理なくアクセスできるようなインターフェイスを備えているべきである。そうして、システムと人間の間にあるインターフェイスが限りなく滑らかになっていき、行く行くは人間とシステムの繋ぎ目がほとんど見えないような状態になったとすると、そうしたらもう、人間は自分がインターフェイスを介してシステムと繋がっている事も意識しなくなるだろうし、そしたら人間は、本来は外部であるはずの各システムも自分の一部と思いながらやっていくことになる。


そういうとき人間は、あるシステムと滑らかに繋がっている事で、自らの身体や意識を与えられた本来の枠以上の領域にまで拡張し得ているとも云えるだろうが、同時に自分というリソースの一部を、最初から無条件に外部システムに預けてしまっているとも云え、いうなれば領土を減らされている状態とも考えられる。…それは元々、未フォーマットの未使用領域を、外部システムと繋ぐ事で必要分確保して有効化させるような事を繰り返していくようなイメージであろう。


結局のところ、人間は各システムが結合しあったOPEN系の総体でしかないが、しかしシステムと人間の間にあるインターフェイスの一部において未だ滑らかでない(ちゃんとデータが行き来しない、データの一部がロストする、無関係なデータが混入する、適切な振り分けが為されない…など)状態とか、齟齬や摩擦や干渉を起こしている状態のとき、それはトラブルであり、復旧が試みられるべきであり、早急に本来の滑らかさへと、発展的に修正・解消されてしまうべき状況なのかもしれないが、とりあえずそのような障害が残存して引き起こす現象が、すなわち人間の固有性の実体なのかもしれない。