LOW-TECH HIPPIES

 ラップというのは、リズムにのせて言葉を矢継ぎ早にしゃべる技法である。もちろんこの手の技法は古来より様々な民族によって開発されてきたが、20世紀も終わろうとする頃になって、やはり黒人にかなわないことが明らかになった。単調なメロディーの繰り返しによって人々の情感を操作するという技法においても、黒人はブルースという偉大な発明によって世界の長たる位置をしめており、各民族は音楽と言葉の理想的な融合という分野で何度目かの苦杯をきっすることとなった。

 我が国日本にラップが輸入された頃は、グランドマスター・フラッシュに代表される韻に重きをおく甘ったるいファンク系のラップがほとんどであったため、音楽的に新たな展開をみることはなく、日本的なあまりに日本的な5・7調の下半身に訴えることのないダサイ作品が頻発した。

 その後ラップはHIP・HOPという大きな文化(グラフィティ・アート、ブレイク・ダンス、スクラッチ)の一環として再度渡来し、貧弱な日本ディスコ文化に大きな影響を与える。とくにスクラッチは、ジャマイカ在住の黒人が生み出したダブと並んで「ローテックであるがゆえの衝撃」を音楽関係者に与える筈であったが、音楽関係者はえてして頭が悪いので見逃される例が多かった。

 日本で「もうHIP・HOPなんて古い」といわれだした頃、NY、ロンドンではHIP・HOPセカンド・ジェネレーションがその真の文化性の高さを証明しはじめた。RUN・DMC,LLクールJらがその代表であった。彼らは黒人のアイデンティティを失うことなくあらゆる分野の音楽を併合しはじめたからである。20世紀末、ROCKはJ・ライドンと肌の色を異にする者の手によって葬りさられた。 2109年しるす


1987年、いとうせいこうによる「未来からラップを語る」と題したエッセイ(新潮社「全文掲載」所収)だが、ここで語られている予感というか、期待感というのは90年代初頭まで相当支配的であったように思う。椹木野衣などは80年代後半のいとうせいこうに相当嵌っていたのではないだろうか?そして、確かにHIP・HOPの革新性というのは本物であった。それは間違いない。


しかし、それはそれとして、今僕が改めて新鮮な思いに囚われるのは、87年という時期にスクラッチやダブをして「ローテックであるがゆえの衝撃」と定義付けている事だ。この事から感じられるある種のショックは、20年の歳月が流れた今もまったく風化せず通用する感覚であると云えるし、初期の椹木野衣が何とか言語化しようと躍起になっていたのも、この「ローテックであるがゆえの衝撃」にほかならないと云えるだろう。


それは素性が本来背負わざるを得ない「貧しさ」の一大大逆転現象とでも云うべき事態なのだが、そのような表現の多くは、そのままの在り方をそのままに、いきなりの唐突さと文脈への配慮無視であらわれる。「おいおいおいおい!」と止めたくなる感じ、いやいくらなんでもそれはまずいだろ、という感じ、そりゃ貴方はそれで良いんでしょうけど多分世間は許さないと思いますよ、とたしなめたくなる感じ、そういう、微かな後ろめたさを含有しつつもお構いなしで縦横無尽に走りきってしまう感じ。思わず力ない笑いさえをも呼び込むようななし崩しな感じ。しかし、確かな衝撃の余韻を何度も噛み締めつつ、やはり認めざるを得ないという感じ。


…多分、これはテクノロジーの進歩や発展とかいう話とは別の次元の話である。昔も今も、本当にすごいクオリティの作品だけが含有しているこの感じというのは、大きく変わっていないのだろうと思われる。