「敗戦前後の日本人」保阪正康  (と、「ランド・オブ・プレンティ」)


新版 敗戦前後の日本人 (朝日文庫 ほ 4-9) ランド・オブ・プレンティ スペシャル・エディション [DVD]


戦後民主主義的というのは、とにかくいきなり唐突に始まったのだ。この木に竹を接いだような滑稽な唐突さは、近代以降の日本人が常に背負わざるを得ないもので戦後民主主義はその最たるものなのかもしれない。「これは聖戦だ」とか「お国の為に死ね」とか「この戦争は間違ってました」とか「これからは国民が主役です」とか、そういうひとつひとつでは、人はがっくりしない。そうではなくて、「これは聖戦だ」から「この戦争は間違ってます」に、いきなり変わってしまうそのギャップの深さ、コントラストの唐突さ、断絶感こそが人を最も苛むような気がする。しかし、ここまでしょっちゅう唐突な転回があると、もう生きるというのは本来そういうものだと、カラダが憶え込むのではなかろうか?


かつてマッカーサーは占領下の日本でその任期を終え、本国に帰ってから「日本人はまだ十二歳の少年である」という有名な発言を残した。マッカーサーは一時期、戦後の混乱期を辛うじて生き永らえていた日本人の一部に熱狂的に崇拝されたのだそうだ。提示された民主主義の基礎となる理念であるとか、それまでの政府や軍への最悪なレベルの失望感が、そのような熱狂を生み出したのだろうが、それでも「マッカーサー元帥様、あなたはぜひ日本の首相になって下さい」「神のような心で日本をお導き下さい」などという投書がGHQに束のように殺到したのだそうで、さすがにそういう話というのは驚かされるし、やや凹む気分にもなる。マッカーサーがそのような日本人について「十二歳の少年」と評したのかどうかは判らないが、まあ人というのは、苦しみというものから逃れるためならある程度、何でもしてしまうのだろうし、そりゃ満足に食い物もなければ、とりあえず食わせてくれる制度をもっとも手っ取り早く作ってくれそうな人にぺこぺこするよなあとも思う。


というか、全然関係ないが、この前たまたま映画「ランド・オブ・プレンティ」がCSでやっていて、冒頭の伝道所まで車で移動するシーンの、路肩にホームレスの住居が延々連なってるシーンを見てなぜかすげえと思い、そのまま結局最後まで観る羽目になってしまった。あの通りの有様ほどものすごくは無いが、上野の昭和通りもかなりのホームレスの方々が居る。最近僕は何か、そういうのに奥底からの不安を感じる。


「畜生!!ビルに突っ込みやがった!よくもやりやがったな!もし俺が乗ってたら、絶対そんな事させなかったぞ!畜生!」と、テロの悪夢にうなされながら泣き、悶絶して苦しむ。その後、ラナと共に死んだアラブ人の兄の住む町トロナへと向かう道中でも、「お前は俺を頭が変になったと思っているんだろ?」と前置きしつつ「ベトナムでは勝ったんだよ。ベトナムだけじゃない。アメリカは全てに勝ったんだ。共産主義が勢力を伸ばすのに、歯止めを掛ける事が出来たんだ。森の中に線を引いたんだよ!」と車を運転しながら語るポール。素晴らしい西日の光線が世界全体を染めている。ラナが手をひらひらさせている。


まあ、アメリカは確かに、ほぼ大よそ勝ってる。20世紀はアメリカのものだ。アメリカの中央集権世界である。だから、その意味でポールの認識は間違っていない。ポールはやるべき事をやって来た筈なのだし、アメリカは一貫している。国も私も、ある同一性の元に在る。おかしいのは今の現実である。


あたり前だけれど戦争っていうのは外交の究極形態なんだし、政治活動の最終形態なのだ。もしやるなら勝つか、最低でも勝ちに近いところで終わらないと駄目なんだろうな。そうじゃなければ、実際「歴史」を記述する権利すら得られない。そしたらそれを読んで問答無用で承認するしかないのだ。そこまでやって、どうにかポールの苦しみを苦しむ権利にまで届く。負けてしまったら、もう即死した方が100倍マシな目に会う。空腹を満たしたくて一番大切なものを捨てるような経験をする事になる。それはこの世界の大多数の人間の苦しみであるが、おそらく耐えがたい。そんな目にあうくらいなら、どうせなら即死したい。。誤解を恐れず云えば、どうせなら、何とかステップアップして最低でもポールの苦しみを苦しみたい。などという不遜な事も考えたりする。しかしそれも只の狭い思考に過ぎないだろう。憎しみの只中にいる内は幸福は訪れない。自分の想像力の外に、憎しみがある以上。


勝利した筈なのに、全てを手中にしている筈なのに、全て兼ね備えていて安全で安穏な環境が整っている筈なのに、それが所々破綻している。それを認めざるを得ない。その不安と苦しみの中に居る事しかできない。それはアメリカ的な苦悩だ。アメリカはその苦しみの只中に居なければならない。しかしアメリカがその苦しみの只中に留まって苦痛に耐えつつ、なおも考えるという事を諦めないでいるかもしれないと想像する事は、数少ない希望のひとつとも云えるだろう。それは他力本願とか国境を超えたつながりとか、そういう事とはまるきり違うような、あいつもきっと大体同じ方向を向いて祈って居る筈だ、というような根拠の無い妄想に過ぎないのだが、それしか希望はない。


何を書きたいのか判らなくなってしまった。…ガンジーが日本人に宛てた言葉から引用。

あなたがたが、世界の強国と肩をならべたいというのはりっぱな野心である。しかし、中国を侵略したりドイツやイタリアと同盟することは、その度をこしたもので正当なものではない。もしもイギリスがインドから退却したとき、次にあなたがたがインドに入ろうとするなら、わがインドは全力をあげて抵抗する。


この言葉はとても美しい。この言葉は「抵抗」という行為の本質的な意味を直接付き付けてくる。…大切な事は「抵抗」を完遂する事だ。たしかに太平洋戦争末期の日本軍も、最悪のかたちで「抵抗」を完遂させる意志を捨てなかった事になるだろうが…。あの戦争末期の、軍の戦争完遂の意志は何だろう?あれはどう考えても悪魔的だ。僕は自分が、かつてあのような政治的決定を行った国の国民である事を、結構恐ろしいと思う。