レースシミュレータ


ちなみに昨日のエントリーは、書いてるうちに猛烈な眠気が襲ってきて、ちょっと気を許すと細かく意識が飛んでしまうようなすごい睡魔に襲われつつ書いていて、最後の段落以降など、自分が一体何を書いて、全体的にどういう状態になっているのか、もう把握不可能な状態にすらなっていて、それであきらめて更新を中止した…のではなくて、あきらめて全体がほぼどういう文章なのかはっきりわからないまま、まあいいやって感じでアップしてしまった。…今日、改めて読んだら、やはりちょっと意味が判らない感じも多々あるが、まあこれくらいの意味不明瞭はいつもの事だろうと思われるので、概ね良いと思った。


…で、本題だが、この数日間、非常にダラダラと弛緩した日々を送った。久々にPCゲームなんかもかなりやった。ああいうのは、始めるとそれなりに惰性的にやれるものだ。逆に言うと、上手く自分内にある「PCゲームやる」スイッチが入らない限り、絶対にやらないのがPCゲームなんかのビデオゲーム全般というものである。僕なんかはゲームっていってもほぼレースゲームしかやらないのですが、(このゲームとかこのゲームなのだが)まあ、ハンドルコントローラをセットしてコンフィグ画面で操作可能にするのは別に大した手間ではないけど、でもそれでゲームを始めて…所持しているのがシミュレータ的なストイックなやつばかりなので…これからコースを周回して、コンマ何秒かを削るために頑張るというとき、なぜかどうしても、その気になれないものなのだ。だったらやめとけば?ってな話だが、でも実際、子供みたいにゲームやる気まんまん。なんていう状況は皆無である。気合入れてドライバーのようにハンドルを握っても、何が面白くてこんな事してんだろう?という気持ちがものすごく湧き上がる。で、気の進まぬまま、ちょっと走ってすぐアクセルを抜いてリスタートを繰り返すだけの、最初はほとんど無益な、シーシュポスの刑罰みたいな数十分間を過ごす事になる。


でもなぜか、不思議な事に、そういう繰り返しの中で何となく攻めるべき所とか間違いを繰り返してる箇所とかが見えてくるので、何となくそこに着目しつつやり始めると、今度は思ったとおりのタイム短縮があっさり可能になってくる。そのあたりで微妙に惰性的な面白さが出てきて、いい感じだとそのまま2時間くらいは走りこむ事になる。そうやって完全に暖まって来たときに叩き出されるタイムというのが、ご丁寧に以前記録したタイムよりキレイに1秒落ちとか、そんな感じなので、まあ云わば、たかがゲームとは云え、その時の気分とか調子の上に乗っかったこの僕のトータルポテンシャルをある程度正確に反映させているんだという事が判る。で、インターネットでのベストランキングとかを見ると、それって在り得なくない?というようなタイムが大量に申告されている。要するにすごい人というのは、こちらが想像できるレベルを遥かに超えてすごいのである。それが現実なのである。たかがゲームですが。


しかし、まあ毎回毎回、同じような結果しか出ないのに、極たまにではあるにせよ、飽きもせずによくやるよなあと我ながら思う。でも僕の場合、所謂物語の展開で引っ張るようなロープレ的ゲームよりは、こういう細かい差異だけを拠り所とするような、ほとんど何の変化もないワンパターンな練習積み上げ系ゲームが好きである。


レースシミュレータに関してはよく議論があって、大雑把に云うと実車というものをどのようにゲームに反映させると「リアル」なのか?「何がリアルなのか?」っていう議論なのだけれど、僕はやっぱり「ああ、こうすると上手く走れる」と感じるときの感覚が「実車」と近ければ、それが最も良いことなんじゃないかな?とも思う。…まあ、でも実車というのはPCゲームとはまるで違うものだ。大体、移動する物体の中に入って、自分が操作する側であると同時に、操作されてる物体に掛かる負荷とかをまともに内部で感じ取るという、そういう特殊状況体験をするのが、車の運転なのであって、そこから「感じ取り」要素をまったく失くしてしまうのだから、これは近づくとかそういうレベルではない。PCの前にいても、絶対に遠心力とか制動力を感じる事はできない。(ゲームでは、ハンドルコントローラ自体の振動と左右のステアリングに対して表情豊かに掛かる抵抗感が、それらを代替する。この表現技術の進歩は、それはそれで驚くべきものがあるのだが…)もういっその事、実車を一旦忘れる位でも良いのでは?とすら思う。


「リアル」と云った途端、その言葉に絡めとられてしまう。別に「リアル」と呼ばれなくても構わないのだ。勇気を出して新たなラインに侵入したときの、一挙に解決が来てタイムがぐっと短縮されたときの感じとか、あの辺が「リアル」と呼ばれるような何かなのではないか?いや、それはあまりにも自分の体を根拠にし過ぎているだろうか?自分の快楽を優先させ過ぎているのか?どっちかっていうと、もうほとんど直進すら難しいような、極めて操作性の悪い総合体を提示して、これこそが「リアル」なんだと理屈的な文脈から感じさせる方法もある。これも、実は悪くないのだ。シミュ好きな人種には多かれ少なかれ、そういう受容を喜ぶ傾向があるから。元々優れたシミュは最初のとっつきの悪さがすごいものであるし。