慣れた犬


まず、一番最初のゲームがあって、僕はそれに参加している。数日後に、勝ったか負けたか?という判定が為されて、どうやら僕は勝ったらしい。で、ご褒美として、実にささやかな賞金をいただいた、とする。


さらに副賞として、次のゲームの挑戦権が与えられたようだ。まだ挑戦しますか?ここでやめますか?と聞かれて、やります、と答える。というか実際は、そう答えるしかないのだ。賞金なんて、微々たるものなのだ。やめると、結局、振り出しに戻ってしまうのだ。だから、やるしかない。


毎日、この世の中で働いて生活していると、恐ろしいことに、この感覚が身体に染み付いてしまう。で、それを不思議に思わなくなってくる。それは、デカイ賭けに挑戦し続けて、最後は億万長者かあるいは一文無しか…などというような極端な話では全然なくて、もっと些細な平凡な感覚なのだが、でも一度はじめたらやめられない感じというのは、ああ僕の心身にしっかりと染み込んでいるなあと思う事がよくある。


たとえば、物事に慣れてきて、当初は10の力でやらなければ出来なかった事が、そのうち、2か3の力でできるようになったとき、じゃあこの後、どうすれば良いか?というようなとき、僕は自分が「一度はじめたらやめられない」世界にいるのだという事を実感する。


10だったものが、結果的に、2か3になったのだから、その余剰分が利益だ、という感覚に僕はなるのだ。そして、その利益を、何かに使いたくなってくるのだ。それって、ものすごく資本主義の犬だと思った…。


10だったものが、結果的に、2か3になったとしても、その物は、只のモノでしかない。あるいは時間は、ただの時間でしかない筈だ。…それを、モノではない何らかの価値とか見なしはじめたら、それこそもうおしまいである。