「花ひらく 真知子より」


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無条件降伏後、マッカーサーとGHQはとにかく一刻も早く、日本に西欧型民主主義を根付かせようと躍起になっていた。混乱させずに、無理なく過不足なく、手なづける事。目の前のカオスを管制下におく。彼らを無理なく、ある方向へと導かなければならない。という訳で、戦時下で作られる映画と同様、終戦後の体制下で作られる映画も、どうしたってある色調を避けがたく帯びる。


「民主主義」という言葉が、当時の日本人にとってどれだけ新鮮で新しい空気を含む画期的なものだったか。それを今の時点で想像するのはなかなか困難だが、とにかく当時、それまでの状況に心の底からうんざりしていた人々は、全身全霊でその概念に飛びつき、我が物にしようと足掻いた事だろうし、未だに旧態依然の概念を捨てきれぬ人々は、只ぼんやりとその聞きなれぬ言葉の響きを頭の中で反芻しているだけだっただろう。そして勿論、それまでタブーであった「左翼思想」という言葉もまた、当時の日本人にとって驚くほどその意味や価値を変えて再び表われた事だろう。人間主体の、労働者の権利を保証する平等で公平な自由。それを背負う人々から発されるある種の眩しさ。。


まあとにかく終戦直後からのしばらくの時間というのは民主主義と左翼思想が暴風雨のように吹き荒れたのだ。その概念に徹底的にカラダを捻じ込んで、そこに自分を合わせようとする。それに縋らなければ、もはや生きていけないと云わんばかりに声高に叫ぶ。そのような信じるに値する何かが、あるときに投下されたのだ。


本作「花ひらく 真知子より」も人間の自由とか女性の新たな生き方を主軸にした作品である。…しかしこの映画が面白いのは、このあたりの時代の映画特有な、うわぁ…と思うほど生硬で青臭くて浮き上がったような言葉の応酬を役者にやらせてその当時の問題意識を取り込む一方で、それとは別に、ちょっと意外なほど大胆に、映画の作り手が自分で画面内でやりたい事を勝手にちょっとずつ小出しに出ているところであろう。観ている側としては、はっきり云って主人公の真知子さんが物語的にどうなろうとあんまりどうでも良いというのが本音だが、何と云ってもあの上原謙の住む妙な屋敷の異様なムードとか、隣が何故か脳病院で始終、患者の変な叫び声が聴こえてきて、高峰さんと上原がすげぇいいムードになってんのに「ギャーー!!」という声に遮られるとか(笑)…お前それはないだろう、と云いたくなるトコロが散見されるのが微妙に楽しい。市川昆の監督デビュー作という事だが、やっぱこういう風に、「やりたい事」を「大義名分」の隙間に上手い事忍ばせてその都度執拗に確認するというのが、「作品」をやり続ける上ですごく大事な事なんだろうなぁと思った。…あとこの映画の高峰秀子はあまりにも美しい。。…ダメだ!!うつくしすぎる!!