Perfumeの新しい「Baby cruising Love」/「マカロニ」両A面シングルの各曲はどちらもリズムは立ってるけどややしっとり目な、切なく甘いテイストの曲であった。…で、相変わらずいい感じの曲だと思ったし愛聴してますけど、それはともかく僕の場合、これまでなぜかPerfumeのしっとり系とかミディアム〜スロー曲とかから感じる共通した印象があって、今回の2曲もそうだし古くは「ファンデーション」とかからもそう感じたのだけど、なぜか「大貫妙子」の曲に感触がよく似てるなあと思ってしまうのである。…
同意してくれる人が一体全国に何人いるのかわからないが(一人もいないでしょうね)、いくら聴いてもそう思ってしまうのだから仕方がない。ちなみに「曲調が似てる」とか「メロディが、節回しが、コード進行が…」という事ではなくて、あくまでもぼやっと感じ受ける印象に過ぎないような、超・曖昧な話なのですけど。…で、なんで僕がそう感じてしまうのか、その謎を解明するためにあらためて大貫妙子をちゃんと聴いてみようと思ってツタヤでベスト盤を借りてきました。そしたら、やっぱ大貫妙子いいねー!とか思っただけで、謎の解明とか思ってたのも一瞬どっかに行ってしまったのですけど、やはりひときわ素晴らしいのが坂本龍一が関わった一連の楽曲である、というのはあらためて感じた。「夏に恋する女たち」とか「ベジタブル」とか「メトロポリタン美術館」とか…あのあたりはほんとうに良いですねー。
もともと僕がはじめて大貫妙子の曲を知ったのは、当時テレビドラマの主題歌でもあった「夏に恋する女たち」である。調べたらこのドラマは1983年8月5日〜9月30日の放送らしく、当時の僕はまだ小学6年生ですけどその頃の感じは薄っすらと記憶にあって、頭の中の過去を辿ると、何となくそのドラマを見ていた瞬間の、夏の夜10時とかの(夏休みだったから夜遅くまでテレビを見てられたのだろう)雰囲気がいまだに蘇ってくるような気さえするのだ。そんな記憶とこの曲調が重なり合って、如何にも独特な感触をもつ記憶として、ある瞬間、いまだにはっとするくらいリアルなのである。
坂本龍一という人はYMO以後オリジナルアルバムでの仕事も相変わらず重ねていたし映画音楽もすごいし既に「巨匠」だった訳だけど、もっとも輝かしかったのは当時の歌謡曲やポップスなどでの他人への一連の曲提供ではないかと思う。それらの楽曲のクオリティはどれも大変素晴らしく、結局それらの作曲仕事が、今までの全キャリア中、もっとも目ざましい達成なのでは?などと言いたくなるようなところさえある。どの曲もほとんど魔法が掛かってるかのような独自のクオリティで、これこそがポップソングとかの大衆消費型コンテンツ特有の、強く香る同時代性とかいう事なのかもしれない。その瞬間に必要とされていたものをちゃんと含んでいたのだろうという感じ。
・・・だとすると、話を無理やり戻すと、Perfumeもまた、来るべき時代の同時代性を強く香らせているという事なのだろうか?かつての坂本龍一が掴んでいたものと同じものを、中田ヤスタカも(本人の自覚や意識とは無関係に)掴んでいる??…って、それじゃあ話があまりにも上手すぎというか無理やりこじつけ過ぎだとは思うが(笑)…というか、楽曲の良さとは、プロデューサーとか歌い手とか作り手側だけに拠りかかるものではないのだから、やっぱり何か不思議な偶然の化学反応なのだろうけど。
…いや、でもくどいようだが、Perfumeの一部の曲になぜか大貫妙子を連想させられるという事自体はウソ偽りのない僕固有の実感なので試しに色々書いてみたけど、やっぱり根拠もな何もなくて、単なる気のせいでしょうかねぇ??なんとなく偶然、似てると感じられるところがあるのでしょうかねえ??