スローダウン


自分をつい絶対化して考えてしまうのは、良くない。自分をしっかりと保つという事と、自分を常に相対化して考えるという事をうつくしく両立させられたら、それは素晴らしい事である。中国について考えるなら、自分が中国人になったつもりで考え、沖縄について考えるなら、自分が那覇で生まれた人間であるものとして考える事だ。美術を鑑賞するときは、その作者になったつもりで…という事ではなく、その作品のありさまをそのままに感じて、その間だけは自分を手放してしまう事だ。音楽も、文学も、映画もだ。自分をしっかりと保ち、よろこびを湛えつつも、心の枝葉はすみずみまで澄んだ液体のように相対化されていて、部分部分はところどころが、もはや自分ではない何かになっているようにしていると良い。


あとは科学とか技術というものについてもちゃんと知っておく事とか、社会のシステムとかについても人並みに関心を向けて、ちゃんと考えておく事も大事なのだろうし、人に対する礼儀とか挨拶も大事な事だ。そういうのがあってはじめて、まともな人間と呼ばれるのである。なぜまともな人間と呼ばれなければならないか?それはそういう人間じゃないと本当にやさしい人ではないからである。世の中全体が幸福になるためには、人間が本当にやさしくならなければならないのである。…とかなんとか…まあまたバイオリズムが下がり気味で、もっとちゃんとしないとなぁと思って自分が軽く惨めな一日であった。