「モディリアーニ展」国立新美術館


乃木坂の国立新美術館モディリアーニ展。とても素晴らしい展覧会。裸婦が一点観れたし、カリアティッドのタブローや素描群も多く観られたので嬉しかった。人物肖像画も素晴らしいのが沢山来ていて、かなりの満腹感を感じられた。


カリアティッドシリーズは、モディリアーニがまだ人物肖像画をやりだす前の、自分の作品のイメージを彫刻的なものとして内側に強く想定していたであろう時期のもので、人体がぐっと体を屈して立て膝をつき、両手で重いものを支えている状態を、紡錘形の、まるでラグビーボール型が連なってるような感じにぐっと単純化させて画面の中で再生成させている感じだ。上部の何かを力を込めて支える手や、傾いだ頭部や、緩やかにカーブした背中や、こんもりと巨大な丸いかたまりのような突き出た立て膝などが、上から下まで曲折しながら流れてゆく紡錘形のかたちのつらなりとなって定着させられ、その状態で、今度は逆にアウトラインの外側の方から内側にかけて、ゴリゴリと線描が重ねられて、厳しい形態のシェイプアップが図られる。その一部始終だ。


肩からひじにかけての線と、ひじから手首にかけての線が、それぞれ、ぐいっぐいっと腸詰を折り曲げたような形態で描き出されていたとしたら、そこからアウトラインに対して執拗な線描が重ねられる。形態の外側から攻め込むように重ねられるストロークは、もともとの緩やかなカーブする線と相反する方向に細かいタッチとして刻まれるので、ほんとうに物体を彫刻刀か何かで切り出しているかのような手つきである。


かと思えば、すっかり表情や感情を殺した抑制された機械的手つきだけで、幾何的ともいえるくらいの単調な線を使い、黒人彫刻というか日本の菩薩像すら思わせるような切れ長の目で縦長の顔を、シンメトリー構図で真正面から捉えたカリアティッドもある。無駄な事を一切せずコントローラブルな操作線のみで証明していくかのようで、このまますぐ均質的な空間と形態へと還元されていきそうですごい。このあたりのプリミティブと還元が渾然となっている感じって、この当時(20世紀初頭)独特の感じがするというか、正直今の感覚ではついてけないとこもある気がするのだけど、それも含めてスリリングに感じる。ので良い。


共通して印象的なのは、何かが目の前に確かにごろっとある事への強い意識というか、ここにこういう形態があるんだ、という感触へ喰らいつくかのようなこだわりだ。たとえば後期の人物肖像画の素描作品に多くみられる、形態を捉えるときの、あたかも空気を切り裂くような、限りなく軽やかでかつ鋭利な線描の線は、ここではまだ十分には姿をあらわしてはいないが、そのかわりに、力強く激しい手つきで切り出していくようなパワーがある。「モデファイ」の強靱の意志に貫かれている事。それが近代を生きる画家の条件だ、とでも云うかのように。。…やっぱりこのシリーズは面白いし、モディリアニの作品群の中でも一番刺激的だと思う。