速い良さ

どのみち、誰だって完全に他人の考えを理解したりはできないのだ。
自分の考えはかならず理解してもらえるはずだ、と思うのは傲慢に過ぎる。
しかし良い物であるかどうかは一目で伝わる。
そこが大きな違いだろう。
つまり良いものを作ろうと努力するしかないのだ。
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080408/1207617812


適当にウェブをみてたら、たまたま上記の文章に行き当たって、まったくその通りだと思った。「つまり良いものを作ろうと努力するしかないのだ。」というところにももちろん共感するけど、それよりも「良い物であるかどうかは一目で伝わる。」の方に強く反応してしまった。「良いもの」の良さとはたしかに、それが良いものであればあるほど、極めて速く伝わるものだ。


ある美術作品をひとめ観て「おぉ、これは素晴らしいじゃない!」と一秒かそこらの一瞬で断定した経験のある人はいるだろう。理屈以前のそういう感覚こそが、美術作品を観る面白さの大きな要素のひとつなのだと思う。言葉は、いつも遅れてやって来て、その一瞬の喜びを何とか再現しようと躍起になって文字列同士が組み合わさって何とか文章らしきものになって、それでとりあえず腑に落としたりすることもあるのだろうけど、それはそれでしかなくて、最初の一瞬で断定した「素晴らしい」の感覚とは同一ではない。でも言葉による再現の過程としてまた別種の感動を呼ぶ事もあるけど。


「これ、いいねぇ!」と思う一瞬の、物体から受ける良さが自分の内側に届くときのスピードがとてつもなく速いとき、人はあ!っというくらいの感動に見舞われるのではないだろうか。「良さ」というものが、さっと胸の奥に差し込まれるような、その超ノイズレスな伝達率のものすごさ。