引用


滴みちる刻きたれば<第一部> 福田和也より

大正七年の創業以来、飛躍的な成長を遂げた松下電器も、恐慌の影響からは逃れられなかった。大暴落後、昭和四年十一月、十二月にかけて売上が急減し、年末には在庫が増えすぎて倉庫に入りきれないあり様になったという。
 病弱であった幸之助は、この危機に際して病臥しており、幸之助に代わって経営にあたっていた井植歳男らが、売上が半分以下になった現実に鑑みて、生産を半減し、従業員も半減するという方針を決めて、松下の枕頭に集まった。
 ここで幸之助が出した結論は、余りにも高名なものだ。
 「生産は半減する。しかし従業員は一人も解雇してはならぬ。その方法として、工場は半日勤務として生産を半減、従業員には日給の全額を支給して減収をしないようにする。その代わり店員は休日を廃して全力をあげストック品の販売に努力すること。かくして持久戦を続けて財界の推移をみよう。さすれば資金の行き詰まりもきたさずに維持ができる。半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題ではない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えている時に、一時とはいえせっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる。」(『私の生き方 考え方』松下幸之助)
 この方針を聞いた従業員は奮起し、団結して販売に奮闘したので、翌年二月には在庫を一掃し、春には生産体制をもとに戻した、という松下神話のなかでも高名な一挿話である。
 大恐慌松下幸之助というのは、本稿にとって大きなテーマであるが、ここでは深入りしない。ただ、現在とは比較にならない経済的苦境のなか、しかも失業保険といった保護政策もなく、馘首と同時に労働者が路頭に迷い、家族が衣食に窮するというような状況において、松下の言葉が、いかなる輝きをもって従業員に受け入れられたか。それは私たちの想像を超えたものではないか。(18頁)

事業をしっかりと運営し、利潤をきちんと上げることこそが、神の御心にかない、神のもとへ導かれる道なのである、という確信は、資本主義を「冒険商人」的なもの、「賤民(バーリア)」的な営為から、「合理的・市民的な経営と、労働の合理的組織」へと完全に変質させたのである。
 このような信仰こそが、西洋近代の爆発的な、経済的、産業的発展をもたらした変化の核心であり、それを支えた背骨にほかならなかった。
 「宗教的生命にみちていたあの十七世紀が功利的な次の時代に遺産として残したものは、何よりもまず、合法的な形式で行われるかぎりでの、貨幣利得に関するおそろしく正しい―パリサイ的な正しさとわれわれは確信して言う―良心にほかならなかった。>>Deo placerevix potest<<「神によろこばれることは難しい」は、名残りもなく消え失せた。独自の市民的な職業のエートスが生まれるにいたったのだ。市民的企業家は形式的な正しさの制限をまもり、道徳生活に欠点もなく、財産の使用にあたって他人に迷惑をかけることさえしなければ、神の恩恵を十分に受け、見ゆべき形で祝福をあたえられているという意識をもちながら、営利に従事することができたし、またそうすべきなのだった。」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』M・ウェーバー 大塚久雄訳)(28頁)