引用(「最後の殉教者」遠藤周作)


きりしたん囚人である甚三郎や善之助のもとへ、かつて、責め苦に負けて棄教して以来、行方もわからなくなっていた喜助が、ある日、浮浪者のような酷い姿で、やはり捕らわれの身として姿をあらわす。一度信仰を捨てたお前が、なぜここに戻ってきたのか?それを尋ねる甚三郎たちに、喜助は泣いて哀願するかのように「かんにんしてくれのう、かんにんしてくれのう」と繰り返す。棄教後、元の部落に帰る事もできず、喜助は大波止の荷揚人夫として働いていたのであった。

だがある日、喜助は親方と魚をかついで何ヶ月ぶりかで長崎にやってきた時、思いがけない光景を眼にせねばならなかった。大波止の舟つき場で、役人たちが二隻の団平舟に囚人をつめこんでいたのである。群衆から罵声を浴びせられ、役人に棒で突かれながらその囚人たちは家畜のように舟に追いやられていく。人々の肩ごしから喜助が背伸びをして覗くと、囚人たちは忘れもしない、中野郷の娘や子供たちである。哀しそうに眼を伏せ、頭をたれて彼らは無言のまま水の浸った舟の中に坐っている。

「きりしたんの囚人じゃ」と親方は喜助の肩をついた。「馬鹿なやつらじゃよ。なあ」

喜助は眼をそらして、じっと自分の顔をみている親方に肯いてみせた。

その夜、彼は浜辺に出て夜の海を一人で見つめていた。

(わしのように臆病なもんはどうすればええのじゃ。わしのような臆病なもんは)

 黒い波の押しては砕け、砕けては引く音をききながら喜助は神を心の底から恨めしく思った。
人間には生まれつき心の強いもの、勇気のあるものと、臆病で不器用なものとの二種類がある。甚三郎さんや善之助さんは子供のころから気が強い人じゃった。だから迫害にあっても信仰を守り通すことができる。このわしは他人に手をふりあげられただけで足もすくみ、真青になってしまう意気地のない性格だ。そんな生れつきの性格のためにゼズスさまの教えを信ずる気持ちはあっても拷問だけはとても辛抱できないのである。

(もしも、こんな世の中に生まれたのじゃ無うて……)

 信仰の自由が許されている昔に喜助がいきていたなら彼だって立派とはいえぬまでも、ゼズス様やサンタ・マリア様を決して裏切る羽目には陥らなかったであろう。

(なんでおらはこげんな運命に生まれあわせたとじゃろ)

 そう思うと喜助は、天主の非情さが恨めしかったのである。

 浜からたち上がって戻ろうとした時だった。彼はだれかがうしろで呼びとめる声をきいた。ふりかえったがだれもいなかった。男の声でも女の声でもなかった。がその声は黒い海の波の音にまじって、はっきりと響いてきたのである。

 「みなと行くだけでよか。もう一ぺん責苦におうて怖ろしかなら逃げ戻ってもいい、わたしを裏切ってもよかよ。だが、みなのあとを追って行くだけは行きんさい。」

 喜助は足をとめて茫然と海を眺めていた。拳を顔にあてて彼は声をあげて泣いたのである。

 喜助の話が終わった時、牢獄の信徒たちは咳一つせず黙りこんでいた。雪が次第に外に積もっていくのが三尺牢におかれた体の肌を通してひしひしとわかってくる。甚三郎はこの二年間、自分が苦しみに耐えてきたこと、弟が死んでも信仰を捨てなかったことが無駄ではなかったと思った。

 翌日の朝、役人が喜助を取調べるため、三尺牢の鍵をあけた。喜助もころぶと言わなければ寺の庭にある氷の池に浸されるのである。にぶい鍵の音と、喜助のよろめく跫音とをききながら甚三郎は、
 「喜助」とひくい声をかけた。「苦しければころんで、ええんじゃぞ。ころんで、ええんじゃぞ。お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは悦んどられる。悦んどられる」 (「最後の殉教者」遠藤周作)

ここにあらわれる「神様」はなぜこれほどまでに感動的なのだろうか。というか、感動的というより、死の直前にある最後の麻薬的な桃源郷であり、母親の原型のまぼろしの、底なしの甘美さ自体とでもいうべきものだろう。最期は、どこまでも甘く暖かなぬくもりが、人間を迎え入れてくれるのだという「希望」さえあれば、責め苦にも耐えられると。信仰の本質とはそれなのではないか?逆に言うと、そのイメージがなければ、拷問に耐えるなんて絶対無理ではないか?という、そんな提示とも読める。