NHKの「世界ふれあい街歩き」


NHKの「世界ふれあい街歩き」をいつも楽しみにしている。あれは見ていると、ほんとうに楽しい。世界各国の街を歩くのだが、カメラの視点でずーっと街を移動していき、たまに立ち止まって周りを見回したり、たまたま通りがかった人とかに話かけたりして、またすーっと移動を続けて、そのままひたすら街の中を彷徨うのだが、僕はそのカメラワークが最高に好きなので、それを見てるのがやたらと楽しいのである。


さっきまで、話していた人をカメラが正面からとらえている。で、話が終わって「さようなら」とか言って、カメラがぐるーっと180度パンして、そうするとその向こうに進むべき通りが置くまで続いているのが見える。で、その方向に、すーっと、カメラがゆっくりと進み始める。この動きの感じがたまらなくすばらしい。景色が、ゆっくりと後ろへ流れていく。雑踏や行き交う人々が、流れ去る視界の両側に切り裂かれていく。しかし、しばらくして、ふとまた立ち止まり、何気なくまた横にカメラがパンする。すると、自分の立つ場所の真横は、こうなっていた、ということがそれではじめてわかり、さらにその一角に、おどろくべきことにさっきまで話をしていた人が、やっぱりその場に居て、こちらをみて微笑していたりする。それは、移動するカメラの後をたまたまついてきたのかもしれないし、そういう事が起こるのが別に不思議でもなんでもない行きがかり上の事にすぎないのかもしれないが、しかし、そういうカメラの移動のたびごとに世界がたちまちあらわれては消えていくのがあまりにもうつくしくて、とても好きなのだ。でも乗り物酔いしやすい人だと、これを見てたら気分悪くなるんじゃないだろうか。。


この映像は、おそらくカメラで撮影しながら出会う人々と会話をしている人によって撮られたものなのだと思うが、テレビ番組としては、ナレーションの人がカメラの動きに沿ってずっと独り言のように喋り続け、ときたま出会う人々にも日本語で「こんにちわ」とかいうことばをかぶせ、相手の現地語は字幕が出るような感じに編集されている。見ていて不思議なのは、現実には現地の言葉同士で対話しているはずなのに、よくこんな風に日本語対現地語が何の違和感もなくつながるように編集できるなあということだ。いや違和感なく、というのは嘘で、かなり違和感がある、というか、つぎはぎされてる感が濃厚なのだが、でもその違和感自体が妙に独特で、これまたかなり良い感じなのだ。


何しろ不思議なのは、方や日本語の語りで問いかけがあり、本当は現地語同士の対話であったはずの片方の言葉が、それへの応答として編集によって接続されているとき、それ以外の、人間の声以外のすべての音。街の雑踏の騒音や車のエンジン音や人々のざわめきなどの背景で行き交ってる多様な音たちが、その間中、まったく途切れていないように感じられる事だ。これはほんとうに不思議。ていうか、もしかすると途切れてるんだけど、僕が気づいてないだけなのだろうか?とにかく、このテレビ番組の素晴らしい点として、ただただ移動し続ける映像が流れ続けるのと同時に、ただただ拾われ続ける街の雑踏の音が延々聞こえ続ける、というところがある。だから、対話の編集作業でそれが途切れないように感じられるというのは、とてつもなく素晴らしいことだとおもう。