探しもの


今日の夜、会社の帰りに上野の人通りの多い通りを歩いてたら、若い女の子と連れの男が二人ともすごい真剣に道端に四つんばいになって、顔を地面にできるだけ近づけて、おそらく路上に落ちたのであろう何かを、必死に探していた。結構人通りの多い通りなので、二人がそうやって考古学者みたいに地面を観察しているのを、道行く人がみな、横目で見ながらものすごい沢山通り過ぎていくのだが、金曜の夜でみなそこそこほろ酔いも多く、二人連れなどは、うわーやっちゃったよーなに落としたんかねーとか平然と話しながら通り過ぎていくし、おっさんとかはやけに真剣な面持ちで近寄ってきて、何を探してるとか全く確かめもせずに、いきなりその二人に混じって真剣に腰を低く屈めて地面を凝視し始めたりする。とりあえず周囲の皆が、基本は無関心だけども適当に参加OKのゆるいイベントみたいなムードがあたりに漂ってさえいた。いや僕もつい、そういうのは意外と遠くまで転がるんだよーとか思って、いや何を落としたのか全然わからないのに、その場所から数メートル離れた車道のあたりをあえて重点的に凝視しながら、その場を通り過ぎたくらいだ。しかしあれは何を探してたんだろう…。あの真剣さから推測すると、コンタクトレンズとかのレベルじゃないだろう。とくに女子の真剣さが半端なかったので、おそらくは宝石的なものではないかなーと思うがどうか。というか、地面に四つんばいになる女性、というのはある種のほのかな官能性を漂わせると同時に、やや不気味な恐怖感すら感じさせる。たとえば黒沢清演出による「風の又三郎」での朗読者、小泉今日子。あの地面に寝そべろうかというようなずるずるとした姿勢、あの背中は、あの下に垂れ下がって顔の両側を覆い隠す髪の毛は、一体何か。ああいう女性の、丸く沿った背中の、浮き出た背骨の、屈んだ身体のかたちというのが、なんとも剥き出しな寒々しい恐怖に繋がる気がして仕方がない。