朝の通勤時、駅まで歩く途中、まだ開店前の店が立ち並ぶ商店街があり、その一軒の店先の閉められたガラス戸の向こう側に、毎日必ず、猫が一匹居て、すっと背伸びするかのような姿で座り、身じろぎもせず、外の景色をずっと見ているのが見える。
ただし、そのガラス戸は窓の枠全体より一回り小さく、曇りガラスの表面処理が施されていて、外側から店内の様子が丸見えにはならないようになっている。で、いつもそのガラス戸の向こうに居る猫は、その外枠の下辺から曇りガラスになるまでの、30cmくらい透明になってるところに、ぴったりと貼りつくようにしていつも外を見ている。しかし、僕から見て、その猫の首から上、つまり顔の部分は、完全に曇りガラスの領域に覆い隠されてしまっている。だから、いつもそこに猫が居る、という事はわかるのだが、要するに僕から見えるその猫というのは、外からどう見えるかというと、ガラス戸の下辺にある透明部分の、胸元より少し下あたりから、猫ののどのあたりにかけてのところだけで、その部分だけが毎朝毎朝、いつもガラス戸の内側にぴたりと貼りつくように、そこに居る、という事である。しかし、自分の顔が完全に曇りガラスの前で、別に下の部分を覗き込もうとする訳でもなく、あれであの猫は、外の様子が見えているのだろうか?あれは要するに、外の様子を見てるというか、曇りガラスを透かして見える、細かい部分は何が何だかわからぬような、妙なモザイク状の何かがすーっと移動していくのを、飽きもせず延々眺めているだけなのではないだろうか?そして、なおかつ、あの猫は、そうやって外の景色(曇りガラスの表面に写るモヤモヤ)を一生懸命見つめていながら、おそらく当の自分が、その胸元からのどにかけて、表通りを歩く様々な人や犬や猫たちから、ひたすら見られているという事にまったく気づいてないのだろう。いくら猫とはいえ、まったく浅はかなヤツである。
というか、そもそも、今、猫ののど、と言ったが、猫にのどなどあるのか?という根本的な疑問が生じざるを得ないのだが、しかしあのように、猫がその場にまっすぐ座ってるとき、足元と顔をそれぞれ手で隠してしまえば、見えてくるのは「胸元からのどにかけて」としか呼びようのない部分が見えてくるのである。それは確かだ。だから、あれが、猫ののどなのである。