団地東通り


近くのスーパーで買い物して、家に帰るまでの5分か10分歩く道で、左手に見える古くて薄汚い感じの、いつ見ても営業しているのかしてないのかわからないようなカラオケボックス店の入り口のドアの脇に、風雨に晒されたまま何年も経過してほとんど脱色して部分的な輪郭線と青空らしき色面しか残ってない昔の歌手のポスターが貼ってあって、その下には半分枯れたような鉢植えの観葉植物がいくつか並んでいて、さらにその脇には古びたポリタンクやら段ボールやら布やら古新聞やらが目一杯うず高く積み上げられて、その過重で斜めにひしゃげかけたような板囲いがあって、その前にでかい犬が鎖に繋がれてのうのうと寝そべったまま身じろぎもせずどろりと濁ったまなざしでこちらを見つめている。車道を挟んだ向かいの建物は宅急便の営業所で、こちらからは建物の白い壁だけしか見えない。たまに宅急便で荷物を出すときに家から歩いて壁の向こう側の集荷口に行くと、ただのだだっ広い、たくさんの荷物が集荷された大きな倉庫のがらんどうな空間で、トラックに荷物を積み込む作業スペースの端の方に小さなテーブルと椅子のある受付場所があって従業員が一人か二人いて、そこで伝票を書いて荷物を渡す。今歩いている歩道からは、壁にさえぎられていて何も見えないが、突然すごい怒号の声が聞こえてきて、何かと思ったら営業所の受付場所のあたりを向いて中年の男性が壁の向こうのちょうど事務員がいるであろうあたりに向かってものすごい剣幕で怒りを露にしていて、怒りにひきつったような紅潮した表情のその横顔が見えて、子供を前と後ろに乗せたお母さんの漕ぐ自転車がゆらゆらとしながら声の方を伺うように見ながら遠ざかっていく。走ってきた車が速度をゆるめて停車したのは、僕の後方にある信号が黄色になりやがて赤に変わったからで、冬の寒さの中回転し続けるエンジンの乾いた唸り声のような音が、向こうから来た車と向こうへ行こうとする車とで重なり合って、横断歩道の停止線でお互いに停車していてその真ん中を、両方の車に見守られながら横断歩道を渡る買い物帰りのお婆さんや子供や主婦が、渡りきった後もさらに歩道を歩いてもう一つある信号まで行って再び立ち止まって車道の様子をうかがっている。僕は前から来た自転車を除けるために少し端に寄る。自転車に乗って通り過ぎていく男性の着ているダウンジャケットのもこもこした感触と光沢感が目に入る。自分の踏みしめている歩道脇の地面の罅割れたコンクリートと剥き出しの湿った黒い地面の境目に細かい苔と少しの雑草が生えていて、でこぼこした起伏をともないながら部分的に交じり合っているのが見える。ゴミが落ちている。歩いている先の突き当たりの道からバスがやってきて左折してこちらに向かってやってくる。歩道を歩く僕を、バスの車内の人が見下ろしている。車内は空いている。乗客は四名ほどだ。次止まります。