pH

「S/N」のサントラを久々に聴きながらダムタイプについてネットで見ていて見つけたインタビューが、たいへん興味深くて、何度か読み返してしまった。

https://simokitazawa.hatenadiary.com/entry/00001205/p1
https://rittorbase.jp/event/24/

そういえば、2019年に現代美術館で開催されたダムタイプの個展には、美術館まで足を運んだものの、謎の入場待ち行列に遭遇して、やむなく入場を断念したのだった。(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2020/02/11/000000)それが、いまさらのように悔やまれる。各作品のインスタレーション版を実際に観ることができた、そのチャンスを失ったのだ。…それにしても、あの狂ったラーメン店のような行列はいったい何だったのか、今でも理解に苦しむ。

ダムタイプの「pH」と「OR」は、どちらもVHSで所持していたはずだ、そう思って部屋を探してみたが、見当たらない。可能性ありそうなところを片っ端から探したが、行方わからずだ。それで妻をも巻き込んで、二人で家の中をひっくり返して探し回ることになって、最終的には僕のCD棚の奥の方から出てきたので、それで妻が不機嫌になったとしても、これは仕方がない。僕が悪い。

「pH」(1991年)を久々に観た。前述リンク先にある「pH」の音楽について、山中透は、当時ニューヨークやロンドンのクラブシーンで体験したクラブ・ミュージック(つまり初期ハウス)が、当時実験的とされていた音楽よりも先鋭的ではないかと感じて【「このままではいけない」と思い、それで「pH」ではそれまであまり舞台には取り入れられることのない最先端のクラブカルチャーサウンドを取り入れることをひとつのテーマとしました。】と語っている。

なるほどその感触はたしかにある。ニューヨークのハウスと言われて、僕などが思い浮かべるもの、--ガラージュ的なやつ--ではなく、もっと節操なく曲同士の混ざり合う、脈絡も物語もない混在の感じが、ここにはある気がする。たぶんもっと荒々しくミックスされた、ほとんどコラージュとかアッサンブラージュ的と呼んだ方が良いようなサウンドからインスパイアされた結果ではないかと想像したくなる。たしかにこの時代(90年代初頭)、ハウス・ミュージックの過激さの中心はそこに見出されていたのだと思う。

ただし本作品においては、音楽がそれ自体として暴力的に鳴り響くのではなく、あくまでも舞台のフェーズごとに分割された世界のBGMとして整然と機能してはいる。各曲のラインナップとアレンジに、当時のハウス的な無節操で高揚した香りがあるということだ。そしてその音は、今聴いてもほとんど古臭くない。それはテクノやハウスという音楽の核の部分が、三十年を経ても実質的にほぼ変化がないことを意味しもする。

そんな音楽もさることながら「pH」のすばらしさの大部分はその舞台設計にあると思う。これは前代未聞の大発明ではないかと思う。まあ自分がこの手の舞台作品を観る経験が少ないがゆえの感想ではあるが、しかしやはり、これはすごいと思う。

フラットベッド型ステージとでも言うのか…、まず観客が、水平方向の視線の先にあるステージを見るのではなく、上から地面を見下ろすようにステージを見るということ。高い位置から地面を見下ろすとき、地面を動く人やモノは、上から下へあるいは下から上へと動き回る。「pH」の演者たちは、パイプ椅子に坐っていたり、立ち上がったり、寝そべったり、匍匐前進で移動する。上からその様子を見下ろすと、上下左右のない平面上での運動として見える。まるで重力から自由な、座標位置だけで出来ている抽象的な平面空間での出来事のように見える。

舞台には、上下に設置された二台のトラスが端から端へと並行移動している。ちょうどコピー機の光の帯が、コピー台上をゆっくり動きながらスキャンするのを彷彿させる動きである。そのような光る物体の移動の下を、あるいは飛び越えた上を、演者たちは移動しながらパフォーマンスを続ける。

すべての力は、ステージの端から端へ流れる方向へと、統一整理されている。人も物も座標に貼り付けられたオブジェクトとして扱われ、走査線によってスキャンされ、トレースされる。そのようなイメージが矢継ぎ早にあらわれては消える。それは巨大なコピー機を模した空間のなかを人が飛び跳ねているようでもあり、CTスキャン、あるいはMRIのような医療器材のイメージも思わせる。

演者の匿名的な存在感と、振り付けと、コスチュームと、それら人体/有機物のイメージと、記号/情報イメージのバランスが、なにしろ絶妙にカッコいい。その「カッコ良さ」一発!だけではないか、…と言えば、たしかにそうかもしれないのだが、これだけのクオリティなら文句はないというか、1991年初演の舞台で、僕はこのとき二十歳だったわけだが、ダムタイプを知ったのはもっと後で、この映像をはじめて観たのはたぶん2002年頃で、その当時でさえ相当の衝撃を受けた。もし二十歳のときに、この舞台を実際に観てたら、人生変わってしまった(変えられてしまった)かもしれないとさえ思う。