時速800km


飛行機が離陸する瞬間の時速は大体200kmか300kmくらい。時速200kmと言葉で書くと簡単だけど、それはものすごいスピードだ。普通の乗用車で時速200km出す事はまずありえないというか、ごく稀だろうし、何の社会的要請もコミットもなく、自分一人の意志だけで時速300kmという速度を実現させる事を考えるなら、それはもう社会規律や常識などへの真っ向からの挑戦という事になってくる。時速300kmというスピードはそういう意味さえ含有したスピードである。しかしそのスピードで離陸して、一時間してから着陸すれば、我々は一時間かそこらで、東京から西日本のある地方都市や北海道に辿りつけてしまう。今自分が、北海道の千歳に降り立っている事を信じられないような思いで認識するのだ。一時間前まで東京に居たのに!


ジェット機は通常運航中は時速約800kmで飛行しているのだそうだ。それはもう、時速800kmというのは、いくらなんでもおかしいとは思わないのか?


自分は正直、いくら自分が飛行機に乗ったとはいえ、自分が一時でも時速約800kmだったというのは、どうしても信じられないし、それは認められないという思いがある。だからそえは、自分の中ではありえない事である。というか、時速約800kmを認識できない以上、それは実際の経験でないだろう。


ある意味僕は、おそらく時速300kmまでは経験したのだと思う。離陸直後のあの感覚をもって僕は、時速300kmを実体験しました。それはそれで良いと思う。自己認証した。


しかし、時速約800kmはいくらなんでも、認可できない。時速800kmというのは、それだけの時速が出ているというのは、おそらく安定航行中であり、ますます体験的な状況ではないのだ。それはどちらかというと静止に近いような体験である。


というか、結局体験というのは所詮、時速300kmの離陸直前がビビる、みたいな話のレベルでしかないのだろうか?時速というリニアな可変システムと、体験というものはまったく接点がないように思う。時速でモノを考えている限り、速さを体験しそれを記録する事はできない。しかし単に印象を書いても、それが時速何kmなのか?を感じさせるものでなければ価値があやうい。


たぶん機内から雲や太陽の光の輝きを見て、それを描写するときに、そこに何も書いていないのにおのずと時速800kmという予感めいたものが、下地として、通奏低音として、確実に鳴り響いているような状態が、言葉としてはもっとも高品質な現れ方なのだろうとは思うが。