公園


水元公園に行く。クスノキ、サクラ、ポプラ、スギ、ケヤキ、それ以外にも多種多様な木々があって、今の季節は新緑の生命力の感じがものすごい。ポプラの葉は伸び上がるような全体の形も面白いが、葉一枚の様子が、表面に少し光沢があるようで、それが太陽の光を反射すると、生い茂る葉のところどころが白く光っているようで、まるでキラキラとした光り物がちりばめられているように見える。クスノキは葉の色が黄緑色とやや深みのある緑色と二種類あるようで、それに少し枯れてしまった葉も混じるので、全体的にとても複雑で深い色合いの葉の感じとなる。葉のかたちもやや小振りなので、密生したときの感じが、まるで縦方向の細かいタッチを規則的に重ねたかのような非常にうつくしいボリューム感に感じられる。


水元公園は遊水池に沿って広がっていて、対岸はもう埼玉県で、川のような溜池の向こう岸には、みさと公園が見えている。かなり距離がありそうに見える対岸の側にも、こちらの様子と同じように公園の緑が広がっていて、人々がくつろいでいるので、まるで遠いところの鏡に写った自分たちを見ているような感じもする。あるいは砂漠の蜃気楼みたいな、そういうものを見えたとしたら、こういう感じだろうなあと思うような景色である。


ある区切られた中に、芝生があって木々が生い茂っていてベンチや遊歩道があって遊水池があって水鳥たちがいたり人々や飼い犬や自転車に乗った人や老夫婦や家族連れやベビーカーや車椅子の人や水辺に等間隔で並んで釣り竿を傾けて皆もをじっと見つめている人々がいるというのは、よく考えたらとても面白いことだ。公園というだけで、皆がそれぞればらばらに、思い思いの姿で、それぞれの時間を過ごしている。それを保つための、ある節度やルールの維持が共有されている。


レジャーシートを敷いて横になって、少し読書した。素晴らしい晴天で、かすかに風が吹いているが、太陽が降り注いでいて、単に寝そべっているだけなのに肌に感じられる空気の温度は暖かく、まるで布団の中に入っているような錯覚をおぼえる。でも読んでる箇所は、大量の手形が決済不可となって対策も充分ではなく結局は不良債権を先送りする結果となり、まもなく金融恐慌がおこり暗い時代の幕開けとなるようなところだったので、今この心地よいひとときとあまりにもかけ離れていて、それが却って楽しかった。