東京オペラシティアートギャラリーにて「猪熊弦一郎展 いのくまさん」を観たのは昨日。


視線を向ける、というとき、その方向への移動感覚、というか、うごき、運動。が、発生し、奥行きと方向性がうまれる感じになる。つまり、そこではじめて、空間が発生する。ぼわっと発生する。そのことを、イメージがあらわれる、という言い方で言い表すこともできるかもしれない。そして、それと同時に、そこにはある一定濃度をこえた、感情の滞留ができていて、その溜まりが、えもいわれぬ芳香を発する。たぶん、空間とは、単なる物理的数値的座標的な抽象イメージではなく、そこに、感情というものがある一定濃度をこえて吹溜っていて、物理的座標軸的抽象イメージと複雑に絡まりあったような状態のときに、はじめて人間の意識に姿をあらわすものなのではないか。だからもとより空間とは幻想だろう。最初のうつわとしての、奥行きも位置も向きも、なにもかもその場で与えられるだけの、実体のない幻想で、人の感情がその幻想を部分的にささえている。人の感情がなければ、物理的座標軸的抽象というもの自体がたちあがらないというか。だから、視線というものが、はじめて幻想としての空間を生み出す。視線を受け止める先としての、顔。顔を感受するということの不思議。いったい誰が、彼の人の顔をみたのか?顔が存在していると誰が保証してくれるのか?それを確かめるために描く顔。というか、描くことで、まなざしの再現を何度でも再現して、何度でも顔をたちあげる。いや、立ち上がった先に何かがあることに気づく。それは顔のはずだと。