玉ノ井


今日は十一月二十八日の日曜日です。半蔵門線三越前まで行って三井記念美術館円山応挙を観ようかと思っていたが、なんとなく今日じゃなくてもいいかなと思って、行くか行かないのかはっきりしないままとりあえず天気が良いので出かけた。それで結局「曳舟のあたりを散歩するか」ということになって、北千住から東部伊勢崎線に乗った。車内は普通の混み具合。ゆっくりと発車して、徐行運転のような速度でのろのろ走る。天気が良いので日差しが斜め上から車内に差し込んでいる。向かいの席に坐っていた若い男が携帯で「鐘ヶ淵っすよね?いやマジでこないだ行ったら、ここじゃないっつって、鐘ヶ淵のほうだっつってて。マジで鐘ヶ淵の方でいいんすよね?」とかなり苛立った声で喋っていた。電車はものの数分で堀切に到着した。僕たちは「ここで降りるか」と言って下車した。


川沿いの土手が高く視界を遮っていて、その向こうには荒川があるのだが、僕はこの景色をいつ見ても、この土手の向こうは海だと思ってしまう。階段を登って土手の上から、水平線までだだっ広い海原が広がっている感じを思う。海が見える直前の気配の感じを強く感じる。土手の上は舗装道路になっていてサイクリング自転車や車や歩行者が右から左へあるいは左から右へ移動していて、自分のいる下の位置からでは移動している下の部分が隠されていて見えないので非現実的なお芝居を見上げているような感じでもある。


墨田区の表札を見ながらえんえん路地を歩く。何の変哲もない生活居住区。静かだ。母の実家のあたりをふと思い出す。もう亡くなった母の三番目の姉が一人で暮らしていた家があって、僕は夏の暑い盛りにその叔母さんの家に泊まって、翌日二人でお祖父さんの墓参りに行った。それから数年して、その叔母さんは入院し、僕は母の四番目の姉と病院にお見舞いに行ったが、叔母さんはほどなくして亡くなった。僕は、その後も母の四番目の叔母さんと二人で、あれは病院の帰りだったと思うがアイスコーヒーを飲みながら、今年は良いことがなかったけど来年はそうじゃない年にしたいわねと、そんな話を聞いてそうだねと言ったように思う。しかしそれからたしか一年もしないうちに、四番目の叔母さんまでが入院し、そのまますぐに亡くなってしまった。僕はたしか、あのときはそういうふうに、二年か三年のうちに何度も母の実家に行ったことがあった。母の実家は、三重県宇治山田駅から歩いて二十分くらい歩いたところにある小さな古い家だった。駅からその家まで歩く途中の景色は、今日の堀切から鐘ヶ淵あたりまで歩くときの風景の中にふと思い出した。そしてたぶん、二十分かそこら歩いただけで、すぐに鐘ヶ淵の駅近くにまで来てしまった。


堀切があまりにも静かだったせいだろうが、鐘ヶ淵はずいぶん都会というか繁華街の印象だった。小さなスナックや居酒屋や小料理屋が狭い路地の中にひしめき合っているが、若者や部外者が当たり前のように入店できるような感じはあまりなく、店も客もそこで暮らす地元の人々によって営まれている感じに思われた。ただ日曜の午後なのでみなひっそりと静まり返った感じで、夜になればまた違うのかもしれないが。


東京スカイツリーが、今まで見た事も無いほど巨大な姿で見えているので、なんとなくその方角を目指して歩いてしまう。狭い路地を巡り歩いていても方向がわからなくなることはない。そうこうしているうちに、またあっという間に東向島駅に着いた。東部博物館という東武鉄道の電車などが展示されている博物館があったのでざっと観た。東向島駅というのが旧「玉ノ井駅」なのだという事をはじめて知った。所謂「花街」的な感じの残滓というか、その気配もたしかにあるにはあるが、そういう事よりも「路地」である事のリアルさの方が強かった。どこにでもある、どこでも共通の強さというか。湿ったコンクリートと劣化してひび割れたプラスティックの強さというか。そういうものの方が過去の物語などより遥かに強い。


博物館を出てさらに歩いて、向島百花園が近いのでそこまで歩く。このあたりはもう明治通りとかの太い道路があって普通に東京の景色なのだが、街並み自体はやはり一昔前の印象が色濃く、我々のような部外者があまり居ないのと、地元のジイサンとバアサンがゆっくり歩いているのと、若者は路肩に気合の入った車を停めて友達とだべっている感じで、地元的な滞留感がある。この土地に来てまだ三年です、みたいな人はああいう車には乗らないと思う。だいたいこのあたりは電車の窓から風景を見ていてもフロントウィンドウが真っ黒の車高を極端に落としたスポーツカータイプの車が駐車してあるのがしばしば見えて、それが地元ということなのだろう。


さらにそのままひたひたと歩き続ける。気付けば東京スカイツリーが、視界いっぱいにその巨大な姿を見せていて、いままで霞むような薄ぼんやりとしか見えなかったものがはっきりと細かいディテールまで見えている事の妙な違和感を感じる。それにしても業平橋という駅も小さい駅で、まさに伊勢崎線沿線の駅という感じのこじんまりとした感じなのに、こんなでかい建造物が出来てしまって、そうしたら周りにも色々とたくさんの施設や店ができるのだろうけど、なんとなく今のこの感じがなくなってしまうのが勿体無いように思ってしまう。もっと新規物件がひしめき合ってるチャラい町なんかいっぱいあるのになぜ東京スカイツリーはよりによって業平橋に作ることになったのだろうか?まあ僕がどうこう言う事でもないですけど。何もない場所にいきなり工事現場で、いきなりスカイツリーで、いきなりある一角に人がいっぱい集まっていて、みんなカメラや携帯を上に向けて写真を撮っていた。すべてが妙に唐突な感じで、全景がまるで映画のロケ現場みたいな面白さを感じた。


隅田川の方へ近づいていって、アサヒビールのあのビルが見えてきた。僕は隅田川沿いにあるアサヒビールの建物ってけっこう好きで、建築的なデザイン的な観点からどうなのかみたいなことはよくわからないけど、なんかすごくあのビルは好きである。夕暮れとか夜とかだと余計に好きだ。なぜかせつなくなるような何かがある気がする(笑)。今日も「あそこに早く辿り着きたい。そしてビールを飲みたい」とか、思っていなかった訳ではない。でも結局、呑まなかったが。なんか店もどんな感じだったかよくおぼえてなくて、なんとなくどうでも良くなった。でも川沿いで飲食したいという欲望というのは、これはなぜなのだろうか。川沿いで食事とか。酒とか。京都の鴨川とか、よく知らないけどベネチアとかもそういう感じだろうか。なんか水の傍で、メシを喰いたいというのは、あるよなあと思う。というか、前述した鉄道機関に惹かれることをふと今思い出すのだが、それとこれと何の関係があるのかを説明するのは難しいが、たぶん昔の電車とか汽車の、あの質実剛健な感触というのが、自然に立ち向かうための荒々しい人工物の剥き出しな感じとしてあって、それは船舶などにも感じられるもので、汽車とか船とかのそういう外観のかもし出す荒々しいどうしようもなさ、人間一人の事など気にも留めない暴力的な勢いの感じというか、二十世紀初頭の非人間的な香りというか、要するにそういう感じで、で、川沿いとか水の周辺で酒を呑んだりメシを食ったりしたいというのが、そういうことに思いを馳せたいという欲望に少し近いものがあるというのか…。まあまったく何の説明にもなっていないのだが、まあとにかく今そのように思いつきで書きながら、そのまま吾妻橋を渡って、水上フェリーみたいなのが船着場に着くところを見下ろす。この水上フェリーも何とも言えないすごい船だが、でも妙に嫌いじゃないのだ。なぜなのか。夕暮れだからか。しかし船着場自体がすごくキレイな建物になっていて、ものすごいたくさんの人が行列していた。浅草に来たのも久しぶりだが、やはりいきなり、ものすごい人だらけで、すごい繁華街で、さすがにウンザリしてきた。前後左右全部人で歩くのも難儀する。さっきまでの誰も居ない静けさからそれほど時間が経ったわけでもないのに。


東部伊勢崎線浅草から電車に乗って帰った。リプレイ映像のように、今日昼から三時間近く歩いてきた道を電車の窓から見下ろしていた。あっという間に北千住に到着した。電車だと、ものの五分か十分の距離しかない。