祐天寺


思いつきから始まることだってある。いや、その方が多い。いや、その方が圧倒的に多い。ところでさっきからずっと、同じところをぐるぐるしてるだけ。まあ少し落ち着こうよ、コーヒーでも飲もう。そう言うと相手は不服そうな顔のままカップを受取り、黙ってその淵に唇をつけた。場合によってはその判断は正しかったのだと思うが、納得してもらえなかった以上どうしようもない。それは認めなければいけない。だったら最初からそう言えばいいのに。そう言いたい気持ちもわかる。まあ実際、この期に及んだ以上さしあたり、とにかくここは、お互い協力のもとで摺りあわせましょうよ。この際そこは目を瞑ろう、なかったことにしようよ。でもいざ現地に到着したら、広いフロアの奥からまっさきに靴音高く歩いて来たのがその当人だったのだが。とはいえまさか、相手からあれを蒸し返す事はあるまい。さすがにそれは、このフェイズ下においてそのふるまいは、いくらなんでもそれは、ないと信じたいしもしあるのならそれだけでこのあといっさいがたちゆかない結果をまねきかねない。合算がおすみでないお客様のお取引はご遠慮申し上げざるをえない。でもあなたさっきからふたことめにはその台詞だけど、言いたいことがあるならもっと正面からいいなよ。あのとき怒気を含んだ声でそう言われた。その顔は怒りに震えていた。両方の目からは涙が、幾筋も幾筋もとめどもなく流れていた。逃げも隠れもしないで、こっちの言い分を毅然として伝えようよ。そのためにこれだけのエヴィデンスを蓄えてきたんじゃない。何のために今まで。けしてあきらめない。かけがえのないものをまもりたい。単なる絵空事じゃないの?うわの空じゃないの?行きがかり上しょうがなかったんじゃないの?くりかえさざるをえなかったってことじゃないの?地べたを這いずり回って、一心不乱なだけだったじゃない。昔はそうじゃなかったじゃない。もっと積極的だったじゃない。昔はすごい痩せてたじゃない。昔からずっと裸眼ですか?うそすごい。あたし最近近くのものが見えないんですよ。けっこう恥ずかしくありません?読んでてこうして少し目から離すの。少し首をのけぞらせないと見えなくて、そう最近ですよ。じゃああの壁の時計見えます?今何時かわかります?あぁ見えるんだすごい。え、うそ違いますよ、あれ何かテープか何か貼ってあるんですよ。あそこはまだ見えますね。向こうだと見えないです。うそーやばくないですか。あーほんとですか、いやひどい。もう忘れちゃいました?そうそう、そうそうそう。その階段から戻って駅ですよ。えぇうそーこれから行くんですか、終電間に合うんですか。隙間を埋めるように電車がホームに滑り込んでくる。ドアが開いて、車内の空調がやむ。この駅止まり、終点です。どちら様もお忘れ物のないようにお降り下さい。肩をとんとんと叩かれる。終点ですよ。起こされた。この駅止まり、靖国通りだった。言問通りだった。鴻巣だった。コンパクトディスクだった。シーケンサーだった。雄大な流れだった。果てることのない、悠久の眺めだった。生々流転の果ての、祐天寺だった。