レコードを聴いてると、ふと、音楽を聴いてるのではなくて、通信しているようだと感じる事がある。ジミ・ヘンドリックスのコンサートの実況録音を聴いていて、これが1967年のパリの出来事だと実感させてくれるものなど何もない。再生されるときは常に、今よりも少し前に起こった出来事として、再生されているように感じる。40年前だろうが、数日前だろうが、常にそうだ。録音物、レコードというものが、そのようなものなのだ。ついさっき起こった出来事が、通信して今ここに届く。今聴こえてくる音は、決して今聴こえてくる音ではない。「今聴こえてくる音」として、今聴こえてくるだけだ。音が音であると同時に「今聴こえてくる音」としてもある。最初からふさわしくないものとして生まれてきた。音は常に今ここで求められているものとは違う在り方であらわれる。あらわれながら「今ここで求められている音」として、今聴こえてくるだけだ。
他愛のないジョークをひとしきり繰り返したあと、ジミヘンドリックスが曲を紹介する。では続いて、パープル・ヘイズという曲を演奏します。紫のけむり。フランス語だと何ていうのかな?知ってる?わからないね。へへへ。さあ、皆さんよかったら耳を澄ましてください。このギターから音が出てきますよ。
ボリュームを上げると、獣が断末魔の叫びを上げたかのような激しいハウリングが上がり、それを力づくで押さえつけ、トレモロ・アームを目一杯押し付ける。断末魔の悲鳴が断続的に窒息させられたかのようにして、騒音と沈黙との目まぐるしい細切れになってスピーカーから放出される。音の激しい落差に皆が唖然とする。やがて気の狂った救急車が街中を走り回っているような猛烈なサイレンの音がけたたましく鳴り響き、そのままドミナント・セブンス・コードのささくれた不幸和音が岩を削り落とすように刻まれ、極めて重厚なスロー・ミディアムテンポのイントロへと導かれる。ここまでで既に2分が経過している。残りはあと2分半足らずしかない。しかし、この後の展開はまさに、奇跡としか言いようがない。筆舌に尽くしがたい様相を呈する。まさに圧倒的である。