The Byrds


このたびThe Byrdsの「Untitled: Unissued (Exp)」を聴いて、そのあまりの素晴らしさに感動し、混乱し、頭の中を想像が駆け巡った。自分が「サイケデリック・ロック」を好きで、そればかり追い求めてきたのだという事をあらためてまざまざと痛感させられた。ああ、そうだ。こういうことをひたすら探してるんだと思った。


僕にとっての「サイケデリック・ロック」とはいったい何か。それを言葉であらわすのは極めて難しい。しかし世間のサイケと、ずれていることは確かだ。でも世間のサイケと思い切りかけ離れている訳でも、ないのだ。それは、そうなのだ。…とりあえず、強いてあげれば、ジミ・ヘンドリックスと、ジョン・コルトレーン。この巨星ふたつは、掲げておきたい。そして、さらにその系譜に連なる様々なグループなり人なりが後から後から、続く。まあそれでも今、思い浮かぶ限りの印象で言えば、僕はやはりアメリカンミュージックが好きで、アフロ・アメリカン・ミュージックの、20世紀版が好きで、その意味における西海岸なのだと思う。ヒッピームーブメントとか、ドラッグとか、そういうのには全く興味がないのだが、それを差し引いたウェスト・コースト・サウンドが好きだ。余談だがたぶん、僕はシカゴ・ハウスとかガラージュとかのダンスミュージックにも、ウェスト・コーストが鏡に映った左右反転したイメージを最初からずっと見ているような気がする。僕はテクノやハウスを、ドイツから来たものとは思ってなくて、はっきり西海岸から来たものと思っている。いや、西海岸の裏返しだと思っている。デトロイトやシカゴやニューヨークといった街が、その固有性をもって表現できる、新しいウェスト・コースト・サイケデリック。それがテクノだった。…という妄想などどうでも良いし、事実だって同じくらいどうでもよくて、少なくとも僕の中ではハウスやテクノはサイケデリック・ミュージックの現在形なのだろう。


何だかんだ言っても、The Byrdsは世間でいえば「フォーク・ロック」である。でもそれが、いいのだ。サイケデリックであるということはすなわち、アメリカン・ロックであるということなのだ。その力強さ。最近はなぜか妙に、いわゆる「アメリカン・ロック」に激しく反応してしまう。つい先日、たまたま安く買ったTraveling WilburysのVol.3を聴いたら、あまりにも素晴らしくて、アルバムの再生が終わるまで何も出来なくなってしまったくらいだ。すげー、これは本物のロックだ、と思った。聴いてみてとにかく出てくる感想は「ロック・ミュージックだ…」の一言。ロック・ミュージックというのは精神とかジャンルとかそういう曖昧な何かではなくて、ちゃんと物理的に実在するのだし、物理的な実在でなければダメなのだ。。その意味でアメリカには、いまや稀少ではあるだろうが、ロック・ミュージックがまだ実在する。そういう理屈ではわかっているつもりだったはずの事を、実際に音としてまざまざと体験させられ、完膚無きまでに打ちのめされた。結局、良いっていうのはこういうことだ。こういうことでしかないのだ。その良さには、何の根拠も理屈もない。これがこれ自体でそのまま良いってだけで、もしそれがわからなければ、すなわちもしこれを、良いって思えないなら、その人はたぶんロック・ミュージックに縁がないのだ。そう言い切るしかないのだ。