今年の夏も停電が引き続くらしい。真夏に冷房なしというのがどのくらい過酷なものか、ちょっと想像つかない。サマータイム。生きていくのは容易い。魚が跳ねてる。綿も育ってるわ。だからきっと、どうにかなるのよ。そうでしょ?という気持ちもなくはないし、やっぱ無理だろうな、絶対無理だという気持ちも当然ある。


駅の構内。夏になった。駅の構内にいる。たくさんの人が行き交う。あるいは佇む。蝉の声。かげろう。


ベンチに座っている人、立って時刻表を見上げている人、向かい合って立ち話をしている人、反響して聞き取りにくい構内放送に耳を傾ける人、改札の方へ歩いていく人、出口に向かっていく家族連れ、小さな娘が走っていき、また両親の傍まで戻ってくる、スーツケースを引っ張った若い女性、スーツケースは右へ左へ小刻みに向きを変えながら主の歩く方向へ従順に引っ張られていく、さっきまでの賑わいがなくなって、また別の一角に、別の人の流れが生じて、人の流れがいつまでもいつまでも。


東京駅の丸の内口の、ドーム下のがらんとした空間。高い天井。広々としたコンコース。


表面をテラコッタで仕上げられたクリーム色の壁が、数メートル間隔で吊り下げられた照明器具のややオレンジ色に近い温かみのある光を反射して、空間全体が西日を受けているかのような色合いに染まっている。広大な吹き抜け空間。上層部の壁際には八角形の古風な窓が規則正しく並んでいる。


巨大な空間の中央にはドーム状の屋根の裏側を形状に従うようにして木造で組み上げられた梁が繊細かつ強靭に支えている。その向こう、二階の貴賓室に、かつての御麗しき陛下の御姿が思い出される。


会社のオフィスを見上げると、天井の規則正しい升目が、自分の頭上から前方にかけて、はるかかなたまで遠近法の正確さで続いている。ひとつおきに設置された蛍光灯は二本1セットで升目ひとつを光らせるようになっていて、それが升目二つに一つの割合で定間隔で光っているのがやはりずっと向こうまで遠近法的に遠ざかっていく。飛行場の夜に照明で光る滑走路がさかさまになって天井に貼りついたような感じだ。僕たちはそのさかさまになった滑走路の真下でいくつもの頭を並べて働いている。黒い頭が遠くの向こうまで水草のように揺らぎ動いている。


僕ら、人ひとりが、その都度、どうにか落ち着く場所を見つけられる場所。


小さなテーブルの前に若い夫婦が身を寄せ合っている。隣の客に頭を下げ少し除けてもらって乳母車を自分たちの足元へ引きよせて、夫婦ふたり揃って乳母車の中を覗き込んで粉ミルクを溶いた哺乳瓶を与えている。


各家庭の冷房は止まっている。暮らしひとつをバックアップするだけの余裕もない者は、皆行く宛てもなく自然と駅の構内か、もしくは本通りの都民避難所に集まった。


都民避難所はまるで、二十世紀初頭のパリのカフェみたいな、黒いスーツに白いエプロンの給仕が店を取り仕切っていた。トレンチを小脇に抱えてまっすぐに立っていた。客が席につくと、注文を聞きに無言で席まで歩いた。「いらっしゃいませ」とも「ようこそ」とも言わず、無表情で、何の愛想もなかった。ただ要件を聞き、必要最低限のサービスをした。思えば、こういうカフェの誕生は電力不足になってからのことだったとおもう。おそらく我々は東京で初の、都市難民として、それぞれひとりぼっちでカフェの座席に坐っていた。真夏の暑さが耐えがたく、個室にひきこもる事がとてもできなくなったので、公共の巨大な駅構内のようなカフェで一日を過ごすのがその頃はもう当たり前の、一日の過ごし方だった。


駅構内、夏の間中はずっとそこにいよう。行き交う人々を眺めて。皆、黙って、前方を見ている。夜になったら、自分の部屋に帰る。男を待つ。26ドルを握り締めている。もう六時間も、同じところに座っている。立ち上がると、背中全体に鋼の板が入っているかのようだ。僕も妻も今日は、こうして一日を過ごした。今日は思ったよりも読書がはかどった。妻は疲労の色が濃い。そして蒸し暑かった。風呂に入りたかったが、それはまだ適わぬ願いだった。トイレの悪臭が酷くなる自室に戻るのは憂鬱だったが、ひとまず我々は歩き始めた。また明日に備えて、なるべく少しでも身体を休めておかなければならなかった。


風景を見たり、太陽の光を浴びたりして、ぼんやり、のんびりするのは良い。年に一度、サイパンやグアムに行って日光浴したりゴルフしたりするとか。…会社員になってからは薄く漂う不安感から逃れられない。というか、会社員じゃなくてもそうだ。生きる以上、不安はつきまとう。二者択一の強制がやってくる事の不安。行く先がわからないわけではない。いくつかの雛型はいつでも確認できる。しかし…


不安がいやなら、自ら二者択一に対して積極的に介入する。選びまくって移動しまくる!しかしそれでもやはり不安である。


電気がなくなったら、単純に職にあぶれるかもしれないと思う。僕は電気にまみれている。電気なしではやっていけない。


しかし自分を棚に上げて人にそれを要求するのもひどい話だとは思った。変わらないでいる、と言って、じゃあ今の自分がどういう態度でいれば、変わらない事になるのか、それもわからなかったのだから。変わらないためには、その場にいるしかない。


先月から計画していた旅行の予約を火曜日にキャンセルして、三連休は何もしなかった。「こんなときだから仕方がありませんね。」ホテルはキャンセル料を受取らなかった。その日は一日、読書をしたがあまりはかどらなかった。冷凍食品を温めて簡単に食事した。三冊の本を順番に、少し読んでは次の本に移って、そっちを少し読んではまた次の本に移って、というのを繰り返していた。そのうち眠くなってきて、少しうとうとと眠った。また起きて、PCの電源を入れて、数百件の登録フィードのうち更新分だけざっと見た。読んだり読まなかったりして、しばらくしてまた読書に戻った。本も読んでるのか読んでないのか、曖昧な状態のままだ。たまに時計を見た。時間が進んでいるのを確認していた。


「笑っていいとも」が「先生に向いてると思う芸能人」一位当てクイズをやっていた。番組出演者の写真がずらっと並べられていて、誰が先生に向いてると思うかをアンケートした結果を当てるクイズである。「包容力がありそう」で「教えるのが上手そう」な人は人気が高かった。しかしその中でも「優しすぎて生徒にバカにされそう」な人は少し低評価だった。やっぱり優しすぎるのは良くないんだろうなあと思った。「包容力がありそう」で「ときには厳しく全体をまとめられる」人なんて、昔の自分なら「ちょっと鬱陶しいなあ」と思っていた。いやそれどころか積極的に距離を置きたいように思っていた。しかし最近はむしろ逆だ。


電車は相変わらず混んでいる。日比谷線は相変わらず頼りない。