過去空間

上野駅の、とくに銀座線と日比谷線に乗るときの、駅構内の狭さと天上の低さはとても昔っぽい感じがする。たぶんそのことを自覚して、近年はわざわざ構内の照明を暖色系の色にして、あえて薄暗い雰囲気にしているのだろうと思う。天井の低さと言えば上野の松坂屋もそうだけど、駅にしても百貨店にしても、昔のサイズ感がまさにこうだったのだろうなと実感する。時間が一定ではない(時間の長さを客観的に計る基準はない)のと同じ意味で、空間も一定ではないのだろう。1メートルの長さは今も昔も変わらないけど定規そのものが伸縮するならそうは言えない。時間がそうなら距離だって厳密には客観性を担保できない。過去の(記憶の)時間が現在の時間とは違うスピードで流れるように、過去の空間も、それが同一サイズだったとしても、昔と今では違ったあらわれかたをするのか。世界も私の身体も同一を保つことがないのだとして、(決して「私の中」にあるわけではない)知覚だけが、その相違(持続的変化)を、かすかに感じ取るのか。