恐怖運用


別に飛びぬけた能力とか技能とかいらない。愛想の良さも朗らかさも社交性もコミュニケーション能力さえ、とくに求めない。大切なのは恐怖にかられているか、僕たちと同じ不安や恐怖を共有しているかどうかだ。その一点で、この組織の一員になれるかどうかが決まるよ。よく考えてみて。


不安や恐怖をネガティブなものと決めて最初から斥ける人が多いのは承知している。でも、今ある形ある何かを守るにあたって、不安や恐怖を共有できるか否かがもっとも重要なんだよ。これは真実だ。わかってほしい。いや、わかってくれなくてもいいけど、それを共感できない限り、あの扉の向こうのシステムに触らせる訳には行かないんだ。


君はまだ若いからしょうがないけど、忘れないでいてね。この道のベテランの人は、本当にすごいんだよ。ひたすら保守運用をやってきた人は、まさに文字通り、筋金入りだよ。何十年分蓄積されたすさまじく大量の、不安と恐怖が、それらの塵が、積もり積もって固まって、システムを外側から固める樹液のようになって身体のあらゆる部位から湧き出てくるかのようだよ。存在そのものが、対処のエビデンスなのさ。昨日の午前中、指示を受けたこの私が、パラメーターを5%増加させた。彼らは皆、それを実施して、かつ願わくばそのまま自らが実施記録それ自体になろうとしているかのようだよ。


そんな人間は嫌かい?そんな人生を嫌悪するかい?でも、そういう人々が長い年月、深く静かにひたすら支えてきた何かがあるんだよ。そういう人々の澱のような心情の奥底に石灰のように沈殿している不安と恐怖の結晶を想像してみなよ。それこそがまさに、声無き声というやつだよ。それと較べたら、今までさんざん本や映画に描かれた声無き声なんて、全然なんでもないものだよ。