いや、じゃあ


もう時間がないので、また寝ようと思う。一昨日も昨日も寝たように、今日もこれから寝る。こうして書くとき、では今から何を書くのか考えながら、今日のことや一昨日のことや明日のことを思うとき、どうしてもそれまで寝ていたことと、これから寝なければいけないことが、まず頭をよぎる。書くよりも、考えるよりも、まず寝ること。それが先決。それができなければ日々が成立しない。重苦しく鈍い疲労を背負った日中の時間は苦痛で、それは嫌だ。それは避けたい。身体の重さを内側から支えられなくなることへの恐怖をおぼえる。自分の内部に血液を循環させたい。花に水をあげたい。青々とした葉の育成を促したい。それを意識せず、ただ伸びようとすること。供給元について考えせず、ひたすら行軍することを僕は、僕の場合それは、その作戦には同意しかねる。それではやはり僕はいやなのだ。嫌だと言わせて欲しい。それは苦しい。納得しかねます。苦しみは避けたい。自分の身を守らなければならないのです。そのために避けがたくないものはなるべく避けたいと考えています。そこはゆずらない絶対に。だからもう寝ようとしているわけです。寝ていたことと、これから寝ることとのあいだに起こった出来事の報告をする約束だったはず。だからいまこうして、文章を書いている。今日の夕方以降に送信しようと思っていた。買い物に行って、帰りに食事しました。今日はずっと妻と一緒でしたよ。帰宅して、録画したテレビを観たかもしれない。そんなところかな。今日はもう、これから寝てから先のことのほうが今は楽しみです。横になって、枕に頭を沈めて、電源をまさぐって、小さな液晶が光って、その光がぼんやりと照らす一角を見つめる。ばらばらの方向に投げ出された両手と両足がそれでも根元でかろうじて身体と接続されていることを未確認のままに、視界を上にむけたまましばらくじっとしていまして、そのまましばらく見ていたらきっとそのうち動かなくなって息遣いだけが聴こえてくるようになる。その直後、乱暴な勢いで朝になっていることにいつものように気付くはず。