「techno definitive 1963-2013」三田格野田努を買って読んでいると、聴いてない音楽がまだこれほどたくさんあるというのがわかって、何とも不思議な希望が湧いてくる。まったく、音楽というのは、レコードというにはなぜこれほど、雨後のタケノコのように、やたらとたくさんあるのか、世界を覆いつくすほど、いやじつは、世界よりも音楽の方が多いのだ。はるかに多い。比較にならない。竹やぶを超える大量のタケノコ。どだいはじめから、較べられるようなものではない。竹やぶに潜んでいるだなんてくだらない。そんなことこそ信じられない。タケノコにうんざりする。目も眩むばかりの山積みの、この村はたぶんどの家もすべてそうなのだ。多いというのはいい。すくわれるものがある。人をそこに引き止めさせる。ひたすら、そこにいて、だらだらしていられるのが一番だ。また、しょうもないものやゴミみたいなものや、まだ体験したことのない素晴らしいものなんかを、これからもぐだぐだと買って聴いていられて、いまここでこうしていられるのは、じつにありがたいことだ。時間もずっとこのまま、だらだらとしたまま沈殿して澱んだ感じのままであってくれたらいいのだけど、こればかりは、自分しだいである。いかに寝そべりっぱなしでいるかだ。これはもう今後のテーマにして、主旋律としてかなでていきたい。合図のように、何度か反復するのだ。方向だけを、そっと指し示して、皆にそれとなく気付かせるが、強制はしない、非常におおざっぱな主題の呈示にとどめる。本来ならそれすらいらないかもしれない。何もなしでもいられない気もするが、何かはあるようにはなるべくしないようにしたい。そんなふうにできるだろうか。