ジョン・スコフィールド

ジョン・スコフィールドの音楽を知ったのはかなり昔のことだけど、これは僕にとって、ジャズという音楽ジャンルのいちばん最初のほうに感じた難解さだったように思う。いわゆる調性からあえて外れたフレーズで曲を組み立てるという、ジャズ的スタイルを象徴するような、とっつきにくい音楽であるようにジョン・スコフィールドを自分は感じていた。聴いていて納得できない、解決の気持ちよさや満足感を与えてくれない、それがなぜこれで良いとされるのかがわからない。それは自分だけがわからないのかもしれないという不安も上乗せされているぶん、けして小さくはない気がかりだったはずだ。

しかし、わからない音楽など、この世にたくさんある。それをわからないという自覚さえないまま、たいていの音楽を忘れてしまうのが実情のはずだ。自分にとってジョン・スコフィールドの音楽がそこから逃れて忘れがたいものになったのは、アルバム「LIVE」(1977年)だ。これは何度も聴いた。とても思い出深いものだ。ただし書いておかねばならないのは、これを聴いて、それまでわからなかったことがようやくわかった、ということではないということだ。「LIVE」もやはりわからないのである。しかしわからないまま、繰り返し聴きたくなる何かを見出してしまったということだ。ことに一曲目"V."と、二曲目"Gray and Visceral"に、説明できない不思議な魅力を感じた。得体のしれぬ、これまで聴いたこともないような質を感じたのだと思う。そこまで来ると、あの調子っ外れなフレーズが、むしろもっと奔放に、取り返しのつかないほど逸脱してしまってほしいと願いたくなるようなものに聴こえてくるのだった。

その後、陽気なジョージ・アダムズとの共演盤なども聴いて、ものすごくオーソドックスかつ熱いジャズ志向のプレイにも触れて、そのあたりでいつの間にか当初の違和感は消失した。とはいえ、それで期待を込めて買い求めた九十年代以降のアルバムについては、自分としてはどれもまるで刺さらない、一度聴いて軽い失望とともに棚に収めるしかないようなものでしかなかったので、それはそれであっけない肩透かしの感があり、やがていつしか、頻繁に聴く音楽ではなくなってしまった。

そんな大昔の記憶を思い起こしながら、さいきん再びジョン・スコフィールドを聴き返していた。このたびはじめて、時系列でのディスコグラフィーを確認して、聴いているものと未聴のものをわけ、いくつかの盤ははじめて聴いたりもしたのだが、結果的には見事に初期のものだけが僕は好きで、八十年代以降のものはものにもよるけどとくに今後も聴きたいと思えるものはなかった。初期のものとは、つまりデビュー作「John Scofield」と、前述「LIVE」と、次作「Rough House」である。この三枚は、何しろ、熱いプレイであることが共通する。熱いプレイばかりがジャズではないとの理屈はわかるし、ジョン・スコフィールドに熱さばかりを求めるのも了見の狭い話だとは思うのだが、ひとまず現時点ではそうだとしておく。