家から徒歩でお花茶屋経由立石方面を行く。天気晴朗なれども風きわめて強し。強いなんていうものではない。身を切るような、という表現でもまだ足りない。氷の面が、すごい力で身体全体にぶつかってくる感じ。それがひたすら、何度も何度も全身を圧迫する。たぶん今シーズンでもっとも寒さを感じた一日。


しかしお花茶屋、立石、共にたいへんいい感じの駅前集落が形成されており、やはり駅前にでかいスーパーとかデパートのない駅周辺というのは、商店街や飲み屋街の発達がとてもいいかんじなので楽しいものだとあらためて思う。


でも天気予報の、風が吹くと、ものも言えないどころか口もあけられないほどの寒さで、これでは風が吹いて桶屋が儲かる理由はここでは捉えられず、このまま冷凍されてしまうのではないかというくらいの冷気を受け止め続ける。手袋をしている手はすでに、手袋のままで氷水に浸けたのかと思うくらい冷えきっていて指先の感覚は完全に失われている。足元も、靴の内側の足の爪先周辺はあるのかないのかもわからないくらい麻痺してしまっている。顔も、寒さに歪むというよりも、顔自体はそのままのかたちで、口や目元や花や耳の付け根あたりから、亀裂が入っていくつかの欠片状になって、いまや頭部の形状全体が微妙にずれてしまっているのではないかという感じがする。鼻と口から呼気の出入りが妙に不自然な感じになってくる。心臓の周りにまで、冷たさが浸透してきているかのような錯覚をおぼえる。これだけ体内温度が低下すると、呼吸か心臓の鼓動に支障がありそうな気がしてくる。


これは、このままこうして、のうのうと歩いていたら、色々と身体的に壊れるのでは?などと感じられるくらいの、ぼやっとした不安や危険をおぼえるほどの、要するに、二時間も歩き続けるのは、かなり厳しいと言わざるを得ないような寒さだった。


立石で適当なそばやに入り、とりいそぎ熱燗を注文する。のむ。うまいもまずいもない。ただ、口内から喉を伝わって、身体の内側に暖かいものが落ちていく。それだけである。店に入ってから十分くらいして、ようやくマフラーを取りコートを脱ぐ。そのあと、少しお酒をいただき、鴨南蛮そばをいただき、ようやく快復する。酒もいいが、やはり鴨の油がきらきらと浮いている熱い蕎麦つゆを、最後まで腹におさめてしまったとき、その温かさに、全身が溶けそうになって、その効能は酒をも何をも完璧に凌ぐ。固まって、しわしわになったものを、たっぷりのお湯で天井まで湯気の真っ白を立ち昇らせながら戻したみたいなものだ。食べ物とは、温かさとは何かを考えてしまう契機でもあるのかもしれない。風呂入ってサウナ入って水風呂に浸かるのと丁度反対のことをしているようなものか。いやこちらの方が、よっぽど身体への負荷は高いと思うが。しかし、何にせよ寒く、死ぬ寸前だったものが、温かいもので救われ、それまでの空前絶後の苦しみをそのまま燃焼させて、我々はひきつづき、前方に進んでいくという。


帰りはもうさすがに電車を使う。京成線のことはよく知らないので、乗っていてとても楽しい。別に家から歩いて来れる程度の距離なので、すぐに知った世界に来れてしまうのだが、逆にこれだけ地下いところにまだこういう知らなかった場所があるというのが楽しい。しかし、昼間からやっている飲み屋が何軒かあって、いずれも有名な店らしく、しかし土曜の昼過ぎに、皆が入店を待って行列しているというのは、これはいったい何事なのか。ほんとすごい。この寒空のしたでよく並ぶものだ。僕なんかは並ぶのだけはイヤなタイプなので、余計にありえない、ということを思ってしまう。でも程好く空いていれば、へらへらしながら入店するだろうけど。