金曜の夜から書いてなかったけど、飲みすぎで書く余力なしだった。翌朝になってようやく、昨日は飲んだなあ、と思うことが多くなった。日曜日の朝になって、前日同様、良く晴れた良い天気だった、と思った。時計がどこにあるかわからず、今何時かわからない。まだ寝ようとするけど、眠れないので起きようと思うけど、何時間寝たのかわからないから、まだ早い時間なら無理にでも寝ようとする。昨日みたいに、これから年末にかけては、ひきつづき週末が、ばたばたするし、提案して、険しい顔されて、それでも後で、当のその人たちと、なんでもない顔して楽しく忘年会するんだから、組織は面白くて、毎年、そんなことばっかりの繰り返しで、僕なんかはまだ、別に何の責任もないけど、直属の人なんかは、一生そればかりで、何十年もその繰り返しだから、それはそれできっと、大変だろうけど、でも会社を一歩出れば、おいしいお店もあるし、華やかな服も売ってるのだし、気持ちを切り替えて出直してくれば、それはそれで気も心も晴れるってものだろう。年末まで、頑張って、酔っ払って、冗談を搾り出して、受信メールに全部返信してパソコンを落として、眠りながら、歩きながら、ライトアップされた樹木の上のほうを見上げながら、誰かが誰かと、一緒に頑張ってる夢を見ながら、冷たいアスファルトの上を歩きながら、指先がぼんやりとエタノールに灯った光で明るくなるのを見ながら、町や人々や鳥や虫のざわめきを耳にしながら歩くことも、あるかもしれない。まだ、眠れるか。目を瞑ったら、このまま意識がとぶか。寝てもいいけどな。寝るのと起きるのと、どっちが楽か。楽なほうを選ぶ。それがいつものパターンだ。それで、いつも大体、起きるほうを選ぶのだ。だからつまり、年齢なのだ。やれやれ。良く晴れた良い天気だ。着替えた。今日も遠征だ。高幡不動尊から多摩動物園の周辺を抜けて、旧多摩テック跡周辺から七生公園〜平山城址公園までの散索路を行く。また、登山だ。いや、登山とは云えない。まるで、本格的なやつではない。これは登山ではなくて、散策である。ハイキングだ。散歩だ。そういうルートを、あらかじめ調べて行った。我々としては、これで充分だという、その予想が今回実践の結果、たしかな実績となった。今日の行程は、今までの経験上、現状の我々にとっては、最高なルートと云えるものだ。思ったよりもアップダウンの激しい散策路を行く。木々の香り。木漏れ日。湿気、鳥の鳴き声や虫の音、枯葉の西日を反射しながら雪のように舞い落ちる様子を見ながら歩く。好ましいことに、とにかく人が少ない。途中ほとんど、人に会わない。途中でお弁当を広げて、暖かいものを飲んでいる途中も、ずっと誰もいない。なんだか淋しいような、ある種ふいに幽霊があらわれるのではないかと思うほどの静寂、ふりむいたら唐突に人がいた、みたいな想像がじつに恐くリアルに感じられるくらいに静かな無人の森の中で、これはとても素晴らしい時間と空間であろう。紅葉は歌舞伎じみた派手さで上空に飛び散っていて、そして森林の香り。腐葉土の、有機化合の香りである。香りはそのまま、何かを食べて飲んだような、それと同等の経験に位置づく。そしてだから、その日はあまり食欲が出ず、もうすでに色々と食べたあとのような幻覚が消えるのを待つしかない。そのあとで、稲作中の田んぼと、牛糞を肥やしにしている場所を通りかかった。その肥やしの匂いの鮮烈さ。昔はうちの実家の近くでも、こんな匂いが漂っていたものだ。