高幡不動金剛寺から山道へ入っていくと、それが都立多摩自然公園で、かなりの勾配を上り続けるのは息が切れるが、しばらく行くとすぐに日野市の住宅街へ抜けることができる。山の上の、まさに閑静な住宅地という感じで、比較的整然と道路が碁盤の目状に敷設されているのだが、道の先を見ると、見下ろすという感じで下界が下に広がっていて、今自分の立ち位置の標高の高さがわかる。このあたり一帯の住人が、下界を見下ろしながら暮らしているような感じである。下界まで、まっすぐに道が下りていて、もし自転車で下ったらペダルを一漕ぎもせずに、数百メートルか一キロ近い先まで、ものすごいスピードで下まで下りていけるはずだ。そのかわり逆にその勾配をペダルを漕いで戻ってくるのはほぼ不可能ではないかとも思われる。自動車が坂を上ってくる場合なら、その様子が遠くから見えるわけではなくて、あまりにも急な勾配のため、坂の途中から急に自動車が視界に現れる、という感じになる。おそらく交通法規を無視したスピードで走れば、カー・アクションの映画みたいに、ぴょーんと道路から軽くジャンプしながらクルマが現れるようなシーンが撮れそうである。


その住宅地を抜けると、今度は多摩動物公園の敷地傍に至る。このあたり一帯が広大な雑木林であり、動物園の敷地沿いにフェンスが設置されていて、その周囲を散策できるようになっている。適度なアップダウンがあり、コナラ、クヌギなどが多く生息する自然のままの森の中を進む。フェンスの向こうは動物園で、動物の鳴き声など聴こえてくるが、覗き込むと、ものすごい入園者の数で、フェンスの向こうとこちらの人口密度の違いがものすごい。何かの動物が見える?と聞かれて、人間しかいない。と答える。誰もいない森の中の、フェンスに遮られたすぐ向こうで、カップル・家族連れなど人々が色とりどりに地面を覆い尽くす程の勢いでレジャーシートを広げて昼食を摂っているのは、かなりシュールである。


さらに歩くと、旧多摩テック跡地へ。背の高いフェンスで遮られて、草ぼうぼうの駐車場や時間の止まった廃墟感が漂っている、土建屋デベロッパー的つわものどもの夢の跡的・古戦場的な、ものさびしい路を進む。集合住宅のように整然と墓石の並んだ、線香がとてもいい香りの墓地を脇目に、さらに歩くとやがて東京薬科大学脇を抜けて平山城址公園に至る。平山城址公園自体は、これもかなり自然状態の森林が多く、歩くルートはかなり整備されているが所謂近代公園的なものではなくて自然公園という感じだ。多摩地区は基本的にどこもそうだがアップダウンが多いので、公園も平面的に広がるような空間ではなくて上下を見上げたり見下ろしたりすることが多いのが印象的だ。もちろんそういう空間を移動するから体力消耗も激しい。


平山季重神社を経由して平山城址公園駅まで辿りついて終了。約三時間の散策です。


五月の晴天で、ずっとTシャツ一枚で過ごした。軽く汗ばむ程度でほぼ快適。そして、この季節の森の中を半袖一枚で歩いていると、ほんとうに沢山の小さな虫だの葉っぱだの花粉だの塵だの蜘蛛の巣だのが、風や空気と一緒になって渾然となって、始終顔や首元や腕にからみついていて、もう空気そのものがほとんど初夏の粘り気をともなったゼリー状のものになって、ただ歩いているだけで森の中の浮遊物にどんどん身体が汚れていくのがわかった。風呂入りたいなあと思いながら歩いたけど、それほど不快だったわけではなく、むしろよかった。尺取虫や蟻はちょっと立ち止まってみれば足元にもシャツにも体中のどこにでもいた。途中、多摩動物園を抜けたあたりの見晴らしのいい丘みたいな場所で持参した弁当を食べたとき、こぼれたごはん粒を蟻が見つけて運んでいく様子を見ていて、その運動の速度といい、スケール感といい、障壁を乗り越えたり重さを支えたりするパワーといい、もう何から何までが人間と異なっている蟻という生態の運動性能に今更のようにびっくりした。変なたとえだが、人間が縦横10メートルの重さ500キロくらいの荷物を抱えて、ぐいぐいと時速100キロくらいのスピードで走って、10分くらいで足立区から台東区あたりまで移動したような感じだろうか。いや、そうではなくて、動きの切れ目が違うというのか、流れが違うのだ。見る、持ち上げる、移動する、障害物を乗り越える、といった一連の動作が、一つながりのスムーズな流れでできているのではなくて、まるでコマ送りのようになされる感じなのだ。つまり、見る、と、持ち上げる、のと間が存在していない。次のシーンでは、すでに持ち上げているし、その次のシーンでは、すでに乗り越えている、という感じに近い。どうも異様に細かい単位で、瞬間瞬間に、空間移動しているかのようなのだ。人間が秒間60フレームのシームレスであるなら、蟻は12フレームくらいしかなく、しかしフレーム間はテレポート移動ということになる。


あと、そういえば今日もヘビを見た。今日はほとんど見たとは言えないくらい微妙。ガサッと音がして、茂みに逃げ込むときの、その尻尾のようなものだけ。もしかしたら見てなくて、その音を勝手に「見た」に変換している可能性もあるが、しかし視覚イメージも一応記憶内に残存しているので、見たということにする。僕が先頭で歩いていてもとくに何も出てこないが、妻が先頭で歩くときは、なぜかヘビもトカゲも出てくるし、上から毛虫が糸にぶらさがってすーっと降りて来たりもした。なぜ、そういうのばかりが出てくるのか、出るならネコやうさぎに出てきてほしいとのことだが、それはさすがに難しいのでは、と言う。ネコか、うさぎか、きょんでもいい。と言うので、ああ、そういえば前に、きょんっていたねえ、と言う。